ビートルズの薬物事情:LSDが作ったアルバム『リボルバー』

(Photo by Mark and Colleen Hayward/Redferns)

幻覚剤からビートルズの傑作が生まれた──しかしその副作用も大きかった。

『リボルバー』の物語は、修羅場とイルミネーションが交錯したある夜から始まった。

「俺たち、LSDを盛られちまった」とジョン・レノンはジョージ・ハリスンに言った。

1965年の春のことだった。レノンと妻のシンシア、そしてハリスンと妻のパティ・ボイドの4人は、歯科医師ジョン・ライリーとガールフレンドのシンディ・ベリーと共にロンドンにあるライリーの家へディナーに招待された。食事を終えて帰ろうとする4人をライリーが引き留め、食後のコーヒーをしきりにすすめた。彼らがカップを空けて間もなくライリーは、角砂糖にLSDが仕込んであったことをレノンに告げた。「俺たちに何てことをしてくれたんだ!?」とレノンは怒り狂った。レノンも多少は薬物に対する知識があった。それはサイケデリックと呼ばれる幻覚剤で、思考、感情、視覚を狂わせ、周囲の人間に恐怖を与える。心理学者のティモシー・リアリーが、幻覚剤による実験的治療を実施したことで1963年にハーバード大学を解雇された話は有名である。

「私たちの部屋がみるみるうちに大きくなっていって、まるで私たち全員が突然ホラー映画の中に入り込んだ感じだったわ」とシンシア・レノンは語った。ザ・ビートルズのレノン、ハリスンと彼らの妻たちは、ハリスンの運転するミニクーパーでライリーの家を飛び出した(ベリーによるとジョンとジョージは、自分たちが知らなかったことにして薬物を投与して欲しいようなことを事前にほのめかしていたという)。レノン夫妻とハリスン夫妻はレスタースクエアのアド・リブ・クラブへ辿り着いた。エレベーターに乗り込むと、全員がパニックに陥った。「エレベーターの中で火事が起こっていると錯覚したんだ。実はそれはエレベーターの小さな赤いランプだったんだけどね。俺たちみんな叫びだして大騒ぎだった」と、レノンは1971年のローリングストーン誌のインタビューに答えている。クラブでテーブルに着くとまた別の幻覚が始まった。「何だか神様に見守られているようなとても幸せな気分だった。草の葉一枚一枚に神様が見えたんだ。12時間のうちに何百年分も経験した感じだった」と、ハリスンはローリングストーン誌に語った。

4人はその後、ロンドン郊外のイーシャーにあるハリスンの家に帰り着いた。ジョンは後に語っている。「怖かったけど気持ちよかった。ジョージの家がまるで大きな潜水艦のように思えた。宙に5mも浮かんでさ、それを俺が操縦しているんだ。その時俺は何枚かの絵を描いた。"お前が正しい"って言っている4つの顔の絵をね。それから1ヶ月か2ヶ月はぶっ飛んでた」。この時の予期せぬLSD体験が、翌年誕生するビートルズの最も挑戦的で革新的なアルバム『リボルバー(原題:Revolver)』を生むきっかけとなった。


このアニメの中で、ジョン・レノンは初めてのLSD体験について言及している。

それからしばらく、その夜の出来事は伏せられていた。1964年2月、ニューヨークでエド・サリヴァン・ショーに出演して以降、バンドは世界で最も有名なセレブとなった。しかし、多くの若者を長髪にさせるほどの影響力を持ちながら、それまでのところ論争に巻き込まれるのをかろうじて避けてきた。1964年8月にホテルの一室でボブ・ディランにすすめられたのをきっかけに、ビートルズのメンバーたちは常習的に大麻を吸っていた。1965年にリリースされたアルバム『ラバー・ソウル(原題:Rubber Soul)』は、レノンが"pot album(大麻のアルバム)"と呼ぶほど大麻の影響が色濃く、より内向的で幻想的な作品となった。一方で幻覚剤は、バンドのサウンド、方向性や立ち位置、歴史的に見た影響力など、ビートルズのすべてを変えてしまった。

幻覚剤の初体験では懲りず、レノンとハリスンはまた幻覚剤をやろうと決めた。しかも今度はバンドのメンバーも誘うことにした。1965年の夏、北米ツアーの合間に5日間のオフをもらうことができ、ビバリーヒルズにある女優ザ・ザ・ガボールの家を借りた。「ジョンと俺の間では"ポールとリンゴにもやらせなきゃな"ってことになったんだ。幻覚剤が俺たちをまるっきり変えちまったせいで、彼らとしっくり行かなくなってたんだ。あらゆる面でね。とにかく説明できないものすごい体験だった。どんな感じでどう思うかは実際に経験してみないとわからないから。ジョンと俺には影響が大きかった」とハリスンは言った。リンゴ・スターがまず彼らに加わった。「俺は何でも試してみるつもりだった。素晴らしい日だった。その晩は本当にすごかった。(薬が)そのまま冷めないんじゃないかと思ったよ。まる半日経っても"もういい加減にしてくれよ"って感じさ」と、スターは後に語っている。

Translation by Smokva Tokyo

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