ブリティッシュ・インヴェイジョン:ビートルズから始まった英国ミュージシャンのアメリカ制覇

ブリティッシュ・インヴェイジョン屈指の騒々しくて生々しくてタフな音楽は、ロンドンから生まれた。経験豊富な指導者であり、バンドリーダーであるアレクシス・コーナーやシリル・デイヴィスの薫陶を受け、リズム&ブルース・シーンが一握りの場所で成長していた。その中には、後のスターであるミック・ジャガー、ブライアン・ジョーンズ、チャーリー・ワッツ(ローリング・ストーンズ)、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカー(クリーム)、ポール・ジョーンズ(マンフレッド・マン)がいた。エレクトリック・ブルースのファンの一派は、マーキー、フラミンゴ、クロウダディ、イーリング・クラブなどのなじみの店で演奏していた。大勢のプレイヤーの中から、ザ・ローリング・ストーンズ、ザ・ヤードバーズ、ザ・プリティ・シングスなど多くの重要なグループが結成された。プリティ・シングスがアメリカで成功することはなかったが、本国イギリスでは影響力があり、解散や再結成を繰り返しながら、80年代に入ってもバンドは存続している。


マンフレッド・マン Monitor Picture Library/Photoshot/Getty Images

25年が経ち、バンドの現状については憶測が飛び交っているものの、ローリング・ストーンズはブリティッシュ・インヴェイジョン期の最たる生き証人だ。彼らはロックンロールに低俗さを取り戻した。ビートルズとは異なり、ストーンズは愛想もなく、マナーもなってない―親たちがよく思わないのも当然といった類のバンドだった。ブライアン・エプスタインが彼の秘蔵っ子たちをテディ・ボーイ(不良少年)からテディ・ベアに変えたのに対し、マネージャーのアンドリュー・ルーグ・オールダムはストーンズの不良的なイメージを奨励した。

ストーンズはアメリカでは後れを取った。65年まで大きくチャート争いに関わることはなかった。『タイム・イズ・オン・マイ・サイド』と『ラスト・タイム』のトップ10入りで口火を切った後、『サティスファクション』でとどめを刺した。主要なリフと基本的な詞は、ギターのキース・リチャーズがフロリダのモーテルの部屋で寝ぼけて夜中に作った。ロサンゼルスで録音された、リチャーズのファズギターがスタックス/ヴォルトのホーン・セクションのように鳴り響く『サティスファクション』は、時代のゆるぎないロックソングのひとつとなっている。ここからストーンズは、『一人ぼっちの世界』『19回目の神経衰弱』『黒くぬれ!』などのナンバーで勢いを増した。ローリング・ストーンズの音楽はビートルズとは氷と炎のような対照を成していた。爆発寸前のぶっきらぼうな怒りを表現した彼らの音楽は時流を完璧に掴んでおり、リバプールの明るいポップとの違いが際立っていた。


ザ・ヤードバーズ Val Wilmer/Redferns

ロンドンのクロウダディ・クラブでストーンズのレギュラーの座を継いだヤードバーズは、ブルースのバックグラウンドを生かしながら斬新かつ実験的な音楽を始めていた。彼らは歴代ギタリスト(エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ)の腕前が評価された、初のブリティッシュ・インヴェイジョンのバンドだった。『フォー・ユア・ラヴ』ではハープシコードを、『ハートせつなく』ではシタール風リード・ギターを加え、ポップの枠を押し広げていった。しかしほとんどのヤードバーズのファンは"レイヴアップ"(クラプトン、ベック、ペイジの力量を示す場となった長いソロ演奏)がお気に入りだった。

Translation by Naoko Nozawa

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