ボブ・ディランがノーベル賞にふさわしい理由

(Photo by Christopher Polk/Getty Images for VH1)

スウェーデン・アカデミーはディラン受賞の理由を「偉大なるアメリカ音楽の伝統の中で新たな詩的表現を生み出した功績による」とした。

おめでとう、ボブ・ディラン! 2016年ノーベル文学賞の受賞者として彼が選ばれたことは驚きだった。今回の受賞は、『蝿の王(原題:Lord of the Flies)』の作者(ウィリアム・ゴールディング)の受賞が物議を醸して以来、賛否両論を巻き起こすだろう。ゴールディングの場合、前年の1982年に受賞したガブリエル・ガルシア・マルケスが広く人気の高い作家だったためで、ノーベル賞選考委員の心は誰も読めない。そういう類の賞ではないはずだが。選考プロセスにはっきりとした内部規定が存在しないため、ディランが他の有力候補を飛び越えて受賞したことに誰も文句は言えない。他の多くのノーベル文学賞受賞者と同様、寝耳に水の話で、ディランのファンにはまた新たに論争を呼ぶ栄誉ある謎を残した。この議論は何年も続くことだろうし、まずは落ち着こう。議論が妙な方向へ行きそうになった時は、原点に立ち返るべきである。

スウェーデン・アカデミーによると、ディランの受賞理由は「偉大なるアメリカ音楽の伝統の中で新たな詩的表現を生み出した功績による」ものだった。もちろん、ディランの作品は文学の世界でいうところの詩とはいえず、頌詩(歌われる詩)でもない。彼は作詞作曲家であり物語作家である。彼の作品は電気を使った騒音であり、劇作家や脚本家が従来行っていた方法を、彼の生きる時代に新たに発明されたメディア(アンプ、マイク、レコーディングスタジオ、ラジオ)を利用して実現した文学的パフォーマンスである。それは愛であり、略奪であり、メインストリートで火をおこし、銃を撃ちまくる。史上最高のロックンロールの伝記『ボブ・ディラン自伝(原題:Chronicles)』は受賞を逃した。難解でぶっ飛んだ有名な小説『タランチュラ(原題:Tarantula)』も受賞を逃した。彼の歌詞が賞をもらったこともない。彼の歌詞カードには「don’t tie no bows」を「don’t try No-Doz」と記述するなど多くの誤植があるが、ディランは敢えて放置している。F・スコット・フィッツジェラルドの作品を超えたと言われたり、「if’n」という新語を作ったからといって何かの賞をもらったわけでもない。彼のライナーノーツ(「狂気の工場(Insanity Factory)がどこにあるかわからなくても、右へ2歩進み、歯を塗り、寝てしまえばいい」)然り、彼のジョーク(「シュゼットとかいうものをオーダーしようとして"そのクレープを作ってもらえるかい?"と言った」)然り。ディランは、誰もやらなかった独自の作曲法を創案した功績を讃えられ、受賞にいたったのだ。

ディランのノーベル文学賞受賞の根拠を最も的確に言い当てているのが、ラルフ・ウォルドー・エマーソンの言葉だろう。エマーソンはディランのアルバム『ショット・オブ・ラブ(原題:Shot of Love)』がリリースされる100年も前に亡くなっているが、1850年に出版された彼の『偉人論(原題:Representative Men)』の中のエッセイ『Shakespeare; or the Poet』は、ディランの今回のケースに当てはまると思う。エマーソンにとってシェイクスピアが偉大である理由は、劇場という怪しげな箱を自由に操った点にある。「シェイクスピアは彼の同業者と同様、多くのゴミの山とも言える古典演劇を尊重した。そこではどんな実験的な試みも自由にできた。名声が現代悲劇を妨げたならば、何も成し遂げられなかっただろう。ストリート・バラッドのように、活気あるイギリスの熱く煮えたぎる血が劇中に循環したのだ。」

Translation by Smokva Tokyo

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