ロン・ハワード監督のドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK − The Touring Years』からわかる10の真実

ロン・ハワード監督のドキュメンタリー映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK − The Touring Years』


5. 北米でのラジオ・デビューは、あるアメリカ初のビートルマニアのティーンエイジャーのおかげ



『Eight Days a Week』では、ビートルズの曲が1963年12月17日にアメリカで初めてラジオで流された音源も聴くことができる。その数ヵ月後にバンドは、エド・サリヴァン・ショーでアメリカでのテレビ初出演を果たすが、それと同じくらい重要な出来事だった。メリーランド州シルバースプリングの15歳の少女、マーシャ・アルバートがラジオ局へリクエストを送ったことがきっかけだった。彼女こそアメリカにおけるビートルマニア第1号だった。

エド・サリヴァン・ショー出演以前の1963年12月10日、ビートルズはCBSイブニングニュースに取り上げられている。番組を家で観ていたアルバートは、そこで流れた曲をとても気に入った。バンドの最新シングル『抱きしめたい(原題:I Want to Hold Your Hand)』は、その時まだアメリカではリリースされていなかったが、ブリティッシュ・エアウェイズのフライト・アテンダントにハンドキャリーを依頼し、入手した。彼女はこの素晴らしい音楽を他の人々と共有したいと思い、ワシントンDCのラジオ局WWDCの有名DJキャロル・ジェイムズへ手紙を書いた。「ここアメリカでこの素晴らしい音楽を聴きたいと思いませんか?」。

アルバートの熱意に打たれたジェイムズは彼女をラジオ局へ招き、彼女の持っていたレコードをかけた。「番組をお聴きの皆さん、アメリカ初登場のビートルズの曲『抱きしめたい』をお送りします」と紹介し、レコードに針を落とした。これが大きな水門を開けることとなった。その後ラジオ局には曲へのリクエストが洪水のように押し寄せ、その結果ビートルズのアメリカのレーベル、キャピトル・レコードはアメリカでのリリース予定を数週間繰り上げた。

「何があってもビートルズはアメリカを制したでしょう」と、歴史家のマーティン・ルイスは2004年にUSAトゥデイ紙に語っている。「しかし、ビートルズがあんなにも早くアメリカでの人気が爆発したのは、マーシャ・アルバートのおかげに他ならないでしょう。当初の予定通り冬休みも終わった1月13日にシングルがリリースされていたら、アメリカの少年少女たちは1日に20回もこの曲を聴く機会がなく、3週間で100万枚という売上も実現しなかったに違いないでしょう。さらにビートルズが渡米した際、JFK空港に1万人ものファンが押し寄せることもなかったでしょう。マーシャはアメリカにおけるビートルマニアの発端どころではなく、彼女はビートルズ人気を急発進させたのです」。

6. アメリカで最初のコンサート中、いくつかの重大な技術的問題が発生していた



1964年2月9日のエド・サリヴァン・ショーはビートルズの歴史に残る象徴的なシーンのひとつだが、バンドのアメリカ初の本格的コンサートはそれから2日後、ワシントンDCのワシントン・コロシアムで行われた。ボクシングの試合用に作られたアリーナに設置されたロープなしのセンターリングの上で、12曲35分間プレイした。8,092人のファンが絶叫し、メンバーに四方八方からジェリービーンズを投げつけた。チケットは完売したが、リングの周囲を取り囲む形で観客席が設置されていたため、バンドは観客の4分の1だけに向かってプレイすることになる。

この問題を打開するため、ビートルズは3曲ごとに中断し、マイク、アンプ、ドラムセットを時計回りに90度回転させた。いかにも強引な解決策だったが、意外にも効果があった。所がコンサートの中盤でスターのドラムセットを回転できなくなってしまった。映像では、リンゴが力を尽くしてどうにかしようとする姿が観られる。レノンは信頼するローディーのマル・エヴァンスに向かって「マル、ドラムを回してくれ!」と叫んだ。エヴァンスは最終的に力づくでドラムセットを動かすことに成功した。それを見たレノンはステージ上から彼に向かって拍手を送った。スターはドラムセットに戻り、彼の最もエネルギッシュなドラム・パフォーマンスを続けた。

Translation by Smokva Tokyo

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