1970年代初期を代表する20曲

スティーヴィー・ワンダー 『迷信』(1972年)
(原題:Superstition)


スティーヴィー・ワンダーが初めてのナンバー1ソング『フィンガーティップス・パート2(原題:Fingertips Pt. 2.)』を作った時、このソウルの天才児はまだわずか13歳だった。60年代はさまざまなシングルをリリースしたものの、それからおよそ10年間、ポップ・チャートのナンバー1からは遠ざかっていた。かつての神童はその後クラビネットを習得し、成長した天才として帰ってきた。マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイン・オン(原題:What’s Going On)』と同様『迷信』も、彼のその後のキャリアに一貫しているモータウン・サウンドそのものだった。またマーヴィン同様この曲のヒットは、当時のアメリカに広まっていた懐疑的な風潮を変えていく効果があった。

ヘレン・レディ 『私は女』(1972年)
(原題:I Am Woman)


ヘレン・レディの『私は女』は、キュートに抑制しながらもキャッチーなフェミニスト賛歌である。パフォーマーとしてのレディは、男の愚かさをよく心得ていた。彼女は夢の中で強く揺るぎないサビ部分の歌詞が浮かんだ。集団での叫びは自己中心的な強がりなどと捉えられがちであるが、この曲は“抑圧されてきた”彼女の報復とも言える。「キンキン騒ぐ一部のフェミニストの声に押しやられてきた女性たちや、自分は既に解放されていると信じている女性たちなど、さまざまなタイプの女性を見てきた」とレディは書きたかったのだろう。

トッド・ラングレン 『ハロー・イッツ・ミー』(1972年)
(原題:Hello It’s Me)


すべてのアダルト・コンテンポラリー・ミュージックが、トッド・ラングレン初のオリジナル・ソングのようにエンターテイメント性と刺激性に富んだものであれば、どんなに素晴らしかったことだろう。「君を見ていた」と言った直後に「それと同じぐらい別の何かを見ていた」とラングレンは、ややナルシスト気味の少年と彼がモノとしか見ていなかった少女との別れの物語を歌った。ナッズのメンバーだったラングレンがまだ10代の頃、『ハロー・イッツ・ミー』を書いた。音楽的には、ジミー・スミスの『ジョニーが凱旋するとき(原題:When Johnny Comes Marching Home)』のオルガンのイントロにインスパイアされたこの曲は、不幸な結果に終わるハイスクールのロマンスを一方的な電話の会話という形で描いている。意欲的に取り組んだソロ・アルバム『サムシング/エニシング?(ハロー・イッツ・ミー)(原題:Something/Anything)』用にラングレンは、平凡な別れ話をハイポップなリアリズムに仕立てた。

Translation by Smokva Tokyo

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