ドアーズ『ハートに火をつけて』:知られざる10の事実

6.ザ・ドアーズのデビューアルバムでは、レッキング・クルーのメンバーであり、後にブレッドに加入するラリー・ネクテルがベースを弾いている


ドアーズの低音部を担っていたのが、フェンダーローズを操るレイ・マンザレクの左手だったことは広く知られている。そのスタイルは、バンドが初期に直面していた状況の打開策として考案された。「ベーシストを探していた俺たちは何度もオーディションをやった」彼は『Classic Albums: The Doors』でそう語っている。「あるベーシストはローリングストーンズ風、別のベーシストはアニマルズ風といった感じで、どれもピンと来なかった」何かのフォロワーと見なされることを拒んだドアーズは、ベーシストを迎えないという選択肢をとった。「ベーシストを加えた途端、他のロックバンドと似たようなサウンドになった」自伝『Riders on the Storm』で、デンズモアはそう綴っている。「俺たちが何よりも意識していたこと、それは他とは違うオリジナルなバンドであることだった」

ライブの場においては、ベーシストの不在はドアーズのサウンドを決定づける大きな要因となっていた。しかしロスチャイルドは、フェンダーローズのアタックは音源におけるベース部としては不十分だと考えた。彼は独断で、ロサンゼルスの凄腕セッションミュージシャン集団、レッキング・クルーのメンバーだったラリー・ネクテルを雇った。ビーチ・ボーイズ、エルヴィス・プレスリー、ザ・バーズ等の作品に参加していたネクテルは、『ハートに火をつけて』『ソウル・キッチン』を含む、アルバムに収録された11曲のうち6曲でベースを弾いている。

当初アルバムにはネクテルの名前がクレジットされていなかったが、後年になって彼が参加しているという事実は広く知れ渡った。ネクテルを不当に扱ったとしてバンドを非難する声も出たが、2015年にデンズモアはフェイスブック上でこう説明している。「ラリー・ネクテルが作品にクレジットされなかったのは、彼がレイの左手が生んだベースラインをなぞっていただけだったからだ。彼は俺たちと一緒にスタジオに入ったのではなく、後からトラックに音を被せただけだ。ムーグのシンセサイザーがまだ世に出ていなかった当時、レイが生み出したベースラインは補強してやる必要があった」

ネクテルはドアーズの以降の作品には参加していない。しかし1968年に全米チャート3位を記録したホセ・フェリシアーノによる『ハートに火をつけて』のフラメンコカバーで、彼はベースを弾いているとされている。

7.エレクトラ・レコーズが仕掛けた「バンドを宣伝する看板」は、新たなマーケティング手法を確立した

夏が終わる頃にはアルバムは既に完成していたが、クリスマス商戦の陰に隠れてしまうことを懸念したホルツマンは、作品の発売を翌年1月に持ち越すことにした。その決定にバンドは落胆したかもしれないが、ホルツマンが仕掛けたサンセット・ストリップ市内に現れた巨大な看板を目にした時には、メンバーの誰もが興奮したに違いない。その看板は主に映画や食べ物、あるいは煙草などの宣伝に使用されており、ロックバンドのプロモーションに使われたのはそれが初めてだった。

ジョエル・ブロッドスキーが撮影し、アルバムの裏ジャケットに使用されたメンバーの写真と「壁を突き破る衝撃のニューアルバム」のキャッチコピーは大きな話題を呼んだ。シャトーマーモントのすぐ隣にあり、前年にバンドが出演していたクラブから近いその場所に設置された看板の使用料は月に1200ドルとされていた。「あれはバンドの名刺のようなものだった。とても巨大なね」ホルツマンはそう語っている。通勤途中のロサンゼルスのDJたちの関心を集め、期待を膨らませるという狙いが見事に功を奏したこのケースは、アーティストのプロモーションにおける新たなスタンダードを確立し、ほどなくしてロック・ビルボードはアメリカ全土で見られるようになった。

デンズモアはその看板がバンドの知名度の向上に大きく貢献したと語る。「ラジオDJのビル・アーウィンのインタビューで、彼はあの看板に言及して俺たちをからかった」彼は『Riders on the Storm』で、アーウィンの発言ついてこう綴っている。「『バンドを宣伝する看板っていうのは奇妙なもんだ。看板から音が聞こえるわけじゃないんだからさ。世間がまだ知らない、ザ・ドアーズというバンドの音をね』」

Translation by Masaaki Yoshida

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