賛否両論の『最後のジェダイ』、監督の作家性とSWの関係


『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』撮影現場でのデイジー・リドリーとライアン・ジョンソン(右)© 2017 Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.

ジョンソンは彼らしいやり方で、その制約を無効にしてみせた。ジョン・ウィリアムズによるテーマ曲が華を添えるドラマ性と大迫力のバトルシーンの数々に満ちた『最後のジェダイ』は、紛れもない『スター・ウォーズ』作品だ。ポーグの存在を抜きにしても、幾つかのシーンは初期2作の一部であってもおかしくないほどだ。しかし視覚面では、彼ならではのスタイルが反映されている部分が少なくない。レイがライトセーバーを使ったトレーニングに励むシーンにおいて、下からのアングルで壮大なランドスケープをバックに捉えたショットは、まさにジョンソンの真骨頂だといえる。すでに惜しみない賞賛を集めている、思いがけない仲間たちとファースト・オーダーのシークレットサービスが赤一面の空間で繰り広げるバトルシーンも然りだ。バトルの最中に挟まれるマズ・カナタのビデオメッセージ、音もなく別の船内にワープする宇宙船、クライマックスでの吹き出す砂塵、あるキャラクターが沈みゆく2つの夕日に向かってゆっくりと歩いていく場面、巨大な岩をいともたやすく浮かび上がらせるキャラクターの華麗なモーション、そのすべてにジョンソンならではの美学が色濃く反映されている。ジョンソンは自身のスタイルを強引に押し付けるのではなく、既存の枠に違和感なくフィットさせてみせた。

ヒーローや悪役の口ぶり、仕草、怒りを表す眉間の皺にまで、彼のこだわりは徹底されている。ローラ・ダーンが演じる反乱軍の提督と、オスカー・アイザックが演じる奔放なパイロットが交わす熱を帯びたやりとりは『Brick ブリック』を彷彿とさせる。ジョン・ボイエガが演じるフィンと、ケリー・マリン・トランが演じるローズ・ティコが議論する場面は、『かなわぬ最期』のワンシーンであってもおかしくない。レイとルークの会話(あるいはレイとカイロの動作)は、いい意味で『LOOPER/ルーパー』を連想させる。1930年代のスクリューボール・コメディに登場しそうなカジノで、種の異なる生物同士がつるむというお決まりのシーンなど、反発を招きかねないユーモアのセンスさえも、彼は無理なく作品に落とし込んでみせる。歴史の重みに押しつぶされそうになりながらも、自らの存在意義を探し求め、意に反しながらも再び戦いへと身を投じる人々の物語のあらゆる局面に、彼の美学は息づいている。本作には生と死という不可避のテーマを切り離し、彼が一から作り出したかのような親密さがある。

『パルプ・フィクション』に登場する「生きた人間を飾ったロウ人形館」というパンチラインを覚えている人は多いだろう。ジョンソンは『スター・ウォーズ』をそういうものにすることもできたに違いなく、多くの人はそれで満足したはずだ。しかし、彼はライトセーバーをあっさりと投げ捨ててみせた。それはルールを破壊することと、その枠を押し広げることの違いを熟知したライアン・ジョンソンにしかできなかったことだ。物語を生まれ変わらせたあの場面は、失われたものを振り返らないというマニフェストであり、自らの手で何かを生み出せというメッセージでもある。その勇気ある決意によって、彼は『スター・ウォーズ』の歴史を讃えつつ、新たな命を吹き込んでみせた。本作を観たファンは次作を楽しみにしているに違いないが、ルーカスフィルムの全幅の信頼を寄せる彼が手がける次なる三部作を、何よりも心待ちにしているのではないだろうか。「ジョンソン将軍はまだか?」。それは彼の帰還を待ち続ける我々の合言葉だ。


Translated by Masaaki Yoshida

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