ストリーミング時代に逆行する「ロック界、最後の重鎮」

「ソバー」や「スティンクフィスト」のような初期のトゥールの代表曲は、トゥール自身の90年代初期〜中期の美学をしっかりと表しつつ、今でもメタルの歴史に刻まれたランドマーク的な曲として突出している。キーナンは自身の自叙伝で、荒涼としたバンド・サウンドは意図的に作ったものだったと述べている。「俺たちが作ろうとしていたこのテーブルの形状は非常にベーシックなものだった。ヴィクトリア朝風の上品ぶったものじゃない。脚が4本でその上に天板があるだけの、本当にシンプルな構造さ」

しかし、後に発表されたヒット曲の「グラッジ」や「シズム」では、彼らが作り出した音の風景がさらに拡張して壮大になり、同世代のどのバンドをも超越していた。ダイナミクスとエモーショナルな残響をがっちりと捉えつつ、プログレッシヴな破壊力まで打ち出したスタイルの音楽を作ったバンドは彼ら以外にいなかった。また、カール・ユング、ビル・ヒックス、ティモシー・リアリーをモチーフにして1枚のレコードに集結させたバンドも他にいない。1996年の『アニマ』はローリングストーン誌が選ぶ「時代を超えたメタルのベスト・アルバム100枚」の18位に選ばれた。

最近の音楽シーンではスウェーデンのメシュガーがトゥールと似たようなリズミックな技法を使っており、その一方でトゥールと同世代で90年代の生き残り組のデフトーンズが、みずみずしい妖艶さと途方もないカタルシスを組み合わせている。しかし、トゥールのキューブリック的傑作『ラタタラス』と並べると、前出2バンドの最高のサウンドですら足りないと思えてしまう。

トゥールのゆっくりとした歩み、頑ななまでのオールドスクール的アプローチは完全に理に適っている。彼らの音楽はストリーミングやデジタル販売がこれまで一度も行われていない。彼らのビジョンや、神聖さと神聖への冒涜が同じ割合で描かれたアルバム・アートを語るまでもなく、彼らの音楽は贅沢なごちそうであって、手早く作ったスナックではない。そんな世界を体験してみたい人に教えよう。トゥールのレコードに収録されている音楽は信じられないほどの情報量だ。

角度のある拍子記号が交錯している(フィボナッチ・シーケンスが基になっている「ラタタラス」)。脳が変形するようなポリリズム(「ジャンビ」)。不吉な前兆のようなインタールード(「パラボル」)。最高のバランス感覚を発揮する驚異的なインスト曲(耳障りな終わり方をする「フォーティ・シックス&2」、ケアリーとチャンセラーのうねるようなグルーヴが光る「シズム」、ジョーンズの焼けるようなリード・メロディが入った「パラボラ」)。そこにキーナンのむき出しの感情を込めたダイナミックなボーカルと、最高のフックを作る感性が加わって、最も難解な曲ですら、あり得ないほどのキャッチーさを兼ね備えている。

キーナンがシーンに登場して以来、彼は世間に「気まぐれな奇才」という印象を与え続けてきた。1993年に行った「ソバー」のリーディング・パフォーマンスで、モヒカン刈りにしたキーナンがピンクのワンジーを引き裂きながら、身をよじり、痙攣し、泣きわめく姿は、今でも身の毛のよだつ光景として語り草だ。彼の強烈さと守備範囲は時を経るに従って深まっている。彼と同世代のヴォーカリストたちを見ても、「ティックス・アンド・リーチズ」の甲高い辛辣な言葉と、「ウィングス・フォー・マリー (Pt 1)」の内省的な祈りの両方を成功させたのはキーナンだけだ。最近の彼は控えめで、ステージの後ろで奇天烈な身なりをして周囲を怖がらせている程度だが、彼の声は相変わらず他の誰にも真似できない薄気味悪いパワーで溢れている。

Translated by Miki Nakayama

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