ジャミーラ・ウッズが語るシカゴと教育、チャンス・ザ・ラッパーとエリカ・バドゥ

音楽や詩に取り組む場がなかったら、今の自分はなかったと思う

─教育といえば、「LSD」のミュージックビデオはシカゴの公立高校の生徒によるアイデアをベースに作られたそうですね。

ジャミーラ そう、生徒たちにアイデアを考えてもらうコンテストをしたんです。それで優勝したアシュリーという子は、夏になると必ず家族でバーベキューをするそうで、何か辛いことがあっても、とにかくそれを励みにしているんですって。そのアイデアがすごく良かったので、彼女には撮影にも参加してもらいました。

─企画そのものはどこから生まれたんですか?

ジャミーラ こちらでは学校教育において、アート系のプログラムというのは最初に予算がカットされてしまうんですよ。その辺りの意識をもっと高めることで、(学校にも)若者たちのサポートをしてほしいという狙いもありました。



─去年の春、映画『ゲット・アウト』に感激したチャンス・ザ・ラッパーが、映画館のチケットを1日分買い占めて、シカゴの人たちを招待したのがニュースになりましたよね。それと同じように、あなたもシカゴとの結びつきと教育を大切にしている印象です。そういうスタンスに至ったのはなぜでしょう?


ジャミーラ 大学を卒業してシカゴに戻ってきたとき、YCA(Young Chicago Authors)やYOUmediaのように音楽や詩に取り組む場がなかったら、今の自分はなかったと思うんです。いろんな垣根を越えて、学びあえる環境があったのは自分にとってすごく大きかった。でも若い人にとっては、音楽や詩だけではなく、ビデオやヴィジュアルアートにしても、まだまだ(教わる機会に)制限があるように思うんですよね。

私の理想としては、学校がフルにサポートして、(学ぶことを望む)子供たちが必ず通えるようになってほしい。次の世代にも私と同じか、それ以上の環境を用意したいんですよね。そのために貢献するのが、(上の世代に対する)恩返しにもなると思いますし。

─シカゴは昔からソウル、ジャズ、ハウスなど多様な音楽を生み出し、発展させてきた街ですよね。そういう歴史と自分の音楽にはどのような関係性があると思いますか?

ジャミーラ いわゆるシカゴ・ブルースなどのレガシーに関しては、学ぶことのできる環境がなかったんですよね。そういう場があればよかったんですけど、これからもっと調べていけたらなと。その一方で、ドリル・ミュージックにおけるチーフ・キーフのように、シカゴからビッグなラッパーが登場したあと、彼らのような音楽をやる人が一気に増えたじゃないですか。それがシカゴの影響だと知った時は、街の名前が音楽の地図にバーンと載ったように感じて、すごく誇らしかったのを覚えています。

─「LSD」のリミックスをRPブーに依頼したのも、そういう話と関係あるのでしょうか?

ジャミーラ 彼はジュークのゴッドファーザーと呼ばれていて、サウンドがとてもシカゴっぽいので適任だと思ったんです。



─あなたが音楽を作るうえで、“シカゴをレペゼンする”のは重要なことだと言えますか?

ジャミーラ というよりも、自分がシカゴで体験したことを音楽に反映したいんですよね。シカゴというと(治安が悪くて)暴力的だとかネガティヴなイメージを抱かれがちだし、単一的な見方をされることが多くて。でも、そうではない部分も当然あるわけですよ。音楽にしてもそう。ドリルもあればヒップホップもあるし、それらが全部共存しているのがシカゴの音楽なわけだから、それを体現するアーティストの一人になりたいです。

Translated by Kyoko Maruyama

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