マドンナ、20年前の先駆的名盤『レイ・オブ・ライト』:制作者が語る6つの秘話

1998年の作品『レイ・オブ・ライト』 (Photo by Frank Micelotta/Getty Images)


4. 借り物の楽曲が多いとはいえ、マドンナの『レイ・オブ・ライト』のコラボレーターたちは、マドンナの音楽への取り組み方はトップレベルと賞賛する。


アルバム『レイ・オブ・ライト』を含む、数多くの楽曲とアルバムの曲作りとプロデュースでマドンナとタッグを組み、彼女のメジャー・ツアーで2回音楽監督とキーボーディストを務めたパトリック・レナードは、他のどのミュージシャンよりも長く、至近距離でマドンナと仕事してきた。彼はレナード・コーエンの最後のスタジオ・アルバム3枚で共作とプロデュースを行っている。そんな彼がマドンナを「どえらいソングライター」と呼ぶ。これは本当に凄いことだ。

「メロディックな旋律に対する彼女の繊細な感覚、つまりバースの始まりから終わりまでの形やバースとコーラスの相互の関係性に対する感覚というのが、本当に深い」と、レナードが声を強める。「これは普通にある感覚じゃない。私たちの最初のヒット曲『リヴ・トゥ・テル』を例に取ってみよう。私が作ったメロディは残っていて、ほとんどのパートで彼女もそのメロディを歌っている。でも、この曲が“歌曲”へと変化するのは、彼女が私のメロディから離れる所からだ。彼女の場合、彼女以外に考えつかないような音符を組み合わせて歌うことが多い。普通とは違う音符の取り上げ方が「無邪気さ」と捉えられることがあるけど、「正しい音符」を求める人なんていないだろう? みんなが欲しいのは「ストーリーを伝えるために適した音符」だ。彼女はそんな音符を見つけ出すのが上手なんだよ。彼女のおかげで私の評判も上がった。彼女以外の共作者たちの作品とその作業を振り返ると、本当にそうなんだよ」

ロサンゼルス在住のチェリスト、スージー・カタヤマは、ロイ・オービソン、ニール・ヤング、プリンス、エリック・クラプトン、ビョーク、ベックなど、ロックやポップスの大御所たちと数多く共演してきた。彼女がマドンナと最初に共演したのは1986年まで遡る。『レイ・オブ・ライト』ではカタヤマが管弦楽を指揮した。それも、バイオリン20人、ビオラ6人、チェロ6人、コントラバス4人、フルート2人、オーボエ1人という大御所だ。

「あれは本当に大変な1日だった」とカタヤマ。「あのアルバムではオーケストラの録音を1日で行ったの。「フローズン」と「ザ・パワー・オブ・グッドバイ」の2曲をね。そのせいで、とにかく完成させようと必死に頑張ったことしか覚えていないの。マドンナはどんな作業でも必ず同席する。彼女の作品で、最後に彼女が意見を言わなかったものは一つもない。彼女は現場の人間よ。自分が欲しいものを言うことは誰にでもできるわ。でも、これは映画「ディック・トレーシー」を作った時のことだけど、それまで彼女ほど一生懸命に作業する人を見たことがなかった。本当に感動したし、現場にいた全員がそうだったと思う。あの映画では、たくさんの人に囲まれた状況で持ちこたえなければいけなかったはずだもの」

「これ(『レイ・オブ・ライト』)がきっかけで、色んな人からお呼びがかかるようになった。みんな『ワオ! これは本当にいいレコードだ』って言っていたわ」と、彼女が続けた。「本当に音楽的な作品だし、『レイ・オブ・ライト』には、それまで誰も見たことのなかった彼女の側面が反映されているの」

5. 完成していた楽曲で『レイ・オブ・ライト』に収録されなかった1曲が、のちにイタリアのスーパースターによってリリースされた。

ヨーロッパ人でもなく、スペイン語のラジオも聞かない人は、「ラウラ・パウジーニ」と聞いてもピンと来ないかもしれない。しかし、彼女はイタリアのファエンツァ生まれの歌手で、世界中で7000万枚以上のレコード売り上げを誇るスターだ。そのパウジーニがアメリカ市場に進出しようとしてリリースしたのが2002年の『フロム・ジ・インサイド』(英語)だが、これは大失敗に終わった。この失敗を踏まえて2004年にリリースされた『レスタ・イン・アスコルト』(イタリア語)と、同作のヨーロッパ版『エスクーチャ』(スペイン語)で、パウジーニは英語をやめて本来のイタリア語とスペイン語に戻ることにした。そしてこの2枚のアルバムはトータルで500万枚以上を売り上げ、『エスクーチャ』はグラミー賞とラテン・グラミー賞で受賞までしている。ノーウェルズによると、この2枚のアルバムのエンディング曲「Mi Abbandono a Te」(スペイン語タイトルは「Me Abandona a Ti」)の元々の曲名は「Like a Flower」といい、『レイ・オブ・ライト』の曲作りセッション中に彼とマドンナが作った1曲だったという。このバラードはノーウェルズがプロデュースしたのだが、歌詞をイタリア語とスペイン語にする時にかなりの歌詞が書き換えられて、パウジーニが自分の楽曲へと作り変えた。それにもかかわらず、メロディには『レイ・オブ・ライト』的なメランコリーが残っている。この歌のバイリンガルなコーラスを胸の尖ったビスチェを着たマドンナが歌えば、これ以上ないマドンナの曲になるはずだ。

6. 『レイ・オブ・ライト』以前にグラミー賞を取ったマドンナのレコードはゼロだ。

レコーディング・アカデミーはヒット曲を連発するアーティストにご褒美を与えることがよくあるが、マドンナだけはその枠から外れていたようだ。彼女がアルバムをリリースし始めてから15年間、グラミー賞にノミネートされた曲は「クレージー・フォー・ユー」、「パパ・ドント・プリーチ」、「フーズ・ザット・ガール」だけである。唯一グラミー賞を受賞したのが1990年にレーザーディスクとしてリリースされた『ブロンド・アンビション・ツアー・ライブ』で、これは未だにDVDなどの他のフォーマットで公式にリリースされていない映像作品だ。

アルバム『レイ・オブ・ライト』でマドンナは無冠の女王の日々に終止符を打った。同アルバムが最優秀レコーディング賞と最優秀ポップ・アルバム賞を、タイトル・トラックのPVが最優秀ショート・フォーム音楽ビデオ賞を受賞したのである。それ以降、彼女は15回ノミネートされ、3回受賞している。2005年のアルバム『コンフェッションズ・オン・ア・ダンス・フロア』では最優秀エレクトロニック・ダンス・アルバム賞を受賞。このアルバムは外向的なリズムと詩的な反射音をミックスしてフィーチャーしている。

マドンナはアカデミーを非難する代わりに、ジャン=ポール・ゴルチエの燃え盛る炎のような赤い着物を着てステージに登場し、一緒に作品を作ったコラボレーターたちに感謝を伝えた。そして自分の後ろに立っていたウィリアム・オービットをグイッとマイクの前に引っ張って、彼がモゴモゴと感謝を伝えたことを優しくたしなめて言った。「彼は英語を話すのよ。みんな、知らなかったでしょ」と。

Translated by Miki Nakayama

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