マドンナ、20年前の先駆的名盤『レイ・オブ・ライト』:制作者が語る6つの秘話

1998年の作品『レイ・オブ・ライト』 (Photo by Frank Micelotta/Getty Images)

ポップ・アイコンのキャリアとして一大転機となった、マドンナ1998年の作品『レイ・オブ・ライト』のコラボレーターたちがアルバム制作時の話を振り返る。

20年前、マドンナは岐路に立っていた。1992年にエンターテインメント会社マヴェリックを設立し、最新アルバム『エロティカ』と『SEX by Madonna―マドンナ写真集』を全世界でリリースした後、稀代のポップスターはその余波で慎重さ求められる時期を過ごすこととなった。そして、これらの作品にあった溢れんばかりの奇妙さは、落ち着いたバラードに取って代わられ、マドンナは映画『エビータ』の主演へとコマを勧めた。この映画を契機にフェミニズム寄りだった彼女の興味が中米へと移った。1996年に娘・ローデスを出産し、カバラ教とアシュタンガ・ヨガに精神的な啓蒙を求め、瞑想的でエレクトロニックなテクスチャーを得意とするソングライターの音楽に没頭し始めた。特にビョーク、エブリシング・バット・ザ・ガール、トリッキーに夢中になった。

そして、上のような状況と事実がアルバム『レイ・オブ・ライト』を生む礎となった。この作品は上記のアーティストたちの音楽に類似しつつも、確固としたマドンナらしさもある。まだ日の目を見る前のアンダーグラウンドな音楽にルーツを持つ作品だが、今日人気のあるEDMの先祖的マルチプラチナ・アルバムと言える。とはいえ、内容的にはかなり個人的なものが反映されている。20年という歳月が経過してもなお、多くのシンガーやプロデューサーが、この作品の中で巧みなまでに精密に融合された「反復する苦悩」と「ビートが煽る歓喜」を追い求めているのだ。ローリングストーン誌はマドンナの転換点と呼べるこの作品の制作に携わった主要なコラボレーターに話を聞いた。以下は、今回彼らが明らかにしてくれた6つの秘話である。

1. シンセをメインにフィーチャーしたサウンドによって一時的に“ヴェロニカ・エレクトロニカ”と呼ばれたマドンナだが、最初はソングライターのリック・ノーウェルズやプロデューサーのウィリアム・オービットと組む予定ではなかった。

映画『エビータ』出演後、マドンナはベイビーフェイスと再びタッグを組んだ。彼はアルバム『ベッドタイム・ストーリーズ』の収録曲「テイク・ア・バウ」の共同プロデューサーで、この曲は1995年にホット100で7週間1位に居座ったモンスター・ヒットだった。しかし、今回話を聞いた人当たりの良いある人物の話によると、「マドンナは同じことを繰り返したくはなく、その必要もないと思っていた」らしい。この人当たりのいい人物は、グラミー賞に出席するためにマンハッタンに来た時、バーニーズ ニューヨークでマドンナを見つけた。今ではラナ・デル・レイが真っ先に組むコラボレーターで、プロデューサー兼ソングライターのリック・ノーウェルズがこの人物だ。この時、彼は衝動的にマドンナに自己紹介したという。「自分はセリーヌ・ディオンの『フォーリング・イントゥ・ユー』でグラミー賞にノミネートされていると彼女に伝えたんだ」とノーウェルズ。マドンナは「まあ、あの曲は大好きよ」と応えて、彼を驚かせた。これがきっかけとなり、その後ノーウェルズは彼女の自宅を訪れた。彼によると、その時「彼女は新しいアルバムの方向性が全く見えないと言っていた」らしい。その後、ビバリーヒルズのマルホランド・ドライヴにあるノーウェルズの自宅スタジオに2人でこもり、10日間で9曲書き上げた。

当時のことをノーウェルズはこう語った。「それまで、曲作りを一緒にやっていたのは友人のエレン・シプリー、ビリー・スタインバーグ、スティーヴィー・ニックスだけだった。だから、地球で一番有名なスターと一対一で曲作りすることにかなり狼狽していたよ。でも、僕はマドンナの楽曲が大好きだったし、彼女の音楽のエモーションに自分と似たものを感じていた。僕のスタジオにはDJ用のレコードや古い映画音楽のレコードがたくさんあったし、曲作りを進めるために色んなループも事前に準備しておいた。曲が出来上がると、ループを取り除いて、自分たちのビートをプログラムしたんだ。『リトル・スター』と『ザ・パワー・オブ・グッドバイ』は、当時人気が出てきていたドラムンベースのリズムを基に作った曲だ。『トゥ・ハブ・アンド・ナット・トゥ・ホールド』はボサノヴァ・ビートを基に書き進めた曲だよ」

マーヴェリック・レコード会長のガイ・オセアリーはシンセ・ポップのベテラン、ウィリアム・オービットに電話した。オービットは以前マドンナの「ジャスティファイ・マイ・ラブ」と「エロティカ」をリミックスした程度だったが、このアルバム・プロジェクトが進むにつれて、オービットの関与がどんどん深くなって行った。その一方で、マドンナの音楽の核であるパトリック・レナードとイギリス人プロデューサーのマリウス・デ・ヴリーズも呼び寄せられて、4か月半このアルバム制作に関わることになった。作業に時間をかけないマドンナにとって4ヶ月半は永遠と言えるほど長い期間である。



Translated by Miki Nakayama

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