ークリーンな状態を保っているものは何ですか?
子供たちへの愛情と、彼らが俺にくれる愛情だ。年長の子供たちは俺のことをすべて知っている。それでも俺を愛してくれるよ(笑)。それに嫁さんの愛。彼女の愛し方が俺を支えているし、それがずっと俺のすべてでもある。俺にとっての重石だな。素面になった時、二度と戻らないって実感したのさ。
ーどうやって実感したのですか?
(胸を軽く叩いて)心がそう感じたんだよ。自分を殺すような行動から卒業したし、色んな状況や些細な事柄を思い悩んで自分を責めるのもやめた。
ードラッグをやっていた頃の自分の映像や写真を見て、同じ人間だと思いますか?
(少し考えて)あれは違うボビー・ブラウンだと思う。あの頃の俺は悲しかった。結婚していたけど、孤独でもあった。これが本当に辛くて、やりきれなかった。でも今の俺は孤独じゃない。悲しくもない。今は悲しみを感じる理由もない。人生が好転したんだよ。俺はひどいことを、つまり心臓発作やそれ以外の色んな発作だけど、いくつも経験したけど、今でもこうやって歩いている。過去のことも踏まえて前に進んでいるし、過去は過去として受け止めている。そう、ああいう馬鹿なことが人生で起きるって認めたのさ。
ー今年の6月はアルバム「ドント・ビー・クルエル」発売から30年です。難なく全曲を思い出せましたか? それとも少し慣れが必要でしたか?
あのアルバムの中には好きじゃなかった曲があるんだ。「エブリ・リトル・ステップ」は大嫌いだったし、「ドント・ビー・クルエル」もそうだった。あの頃の俺は意識がぶっ飛んでいたから、みんなが持っていた成功へのビジョンなんて意識の中に一切なかったのさ。でも、みんながあのアルバムを気に入ってくれて(笑)、演奏するにようになって「もういい! 知るか!」ってなった。そして(プロデューサーでレーベルの重役の)ルイス・サイラス・ジュニアに「なあ、この曲は歌うけど、テディとの仕事があるから行くわ」と言ったのさ。それが俺にとっての妥協だったわけだ。
「ドント・ビー・クルエル」は俺が作った曲の中で、今でも歌いたくない曲の一つだけど、みんな歌えって言う。俺は「なんでだよ?」って思うよ。時々ラップの一部を忘れることもある。歌手なんてみんな歌詞を忘れるもんだぜ(笑)。演奏中にこの曲を歌う段になって、俺は「これはアホらしい。やめだ、やめ!」って思うことがあるよ。そういう時はバンドに演奏をやめさせて、とっとと違う曲をやるんだ。
ー慈善団体Serenity Houseを設立して、Serenity Galaを開催しようと思ったきっかけは何ですか?
ドメスティック・バイオレンスというのは世界で一番ヒドいことだ。Serenity Houseを始めたのは、DVを経験した女性に自分が悪いからそうなったと思うのは間違っていると伝えたかったから。つまり、DVを受けている女性の隠れ家や駆け込み寺のような場所を作って、そんな関係から脱して、霊的なセラピーや精神的なセラピーを受けられるようにしたいのさ。
被害を受けている女性に教えたいんだよ。怖がる必要も、相手と一緒にいる必要もないって。DVはゲームじゃないんだから。逃げて健全に生きるか、耐えて死ぬかの二者択一だ。俺が経験したのと同じことを、他の母親にも父親にも経験してほしくないんだよ。
ー2016年に、ニック・ゴードンがあなたの娘さんの遺族に3600万ドル(約40億円)を支払う判決が出ました。彼女の死に対する正当な処罰が下されたと思いますか?
いや、まだだ。
ーそれはどうして?
あの男はまだ自由に歩き回っているから。
ーでは、あなたが正当な処罰だと思うことはどんなことですか?
正当な処罰だって? 誰かがあの男を陵辱できる場所にヤツを閉じ込めることだな。今の俺はそう思う。娘を奪うことでヤツは俺を陵辱したんだよ。