監督・齊藤工、主演・高橋一生 フラットで自由な出会いの刺激と喜び|80年代生まれの焦燥と挑戦

映画「blank13」の監督・齊藤工(左)、主演・高橋一生(右)(Photo by Miho Fujiki)

高橋一生と齊藤工のふたりが主演俳優と映画監督という形で巡り合い、ともに作り上げた現在公開中の映画「blank13」。80年代前半生まれのふたりによる、このインディペンデントな挑戦に焦点を当て、話を聞いた。

映画、テレビ、CM、WEB、いずれのメディアでもその姿を見ない日はないほどといっても過言では無い、高橋一生と齊藤工。このふたりが主演俳優と映画監督という形で巡り合い、互いの多忙を極めるスケジュールを越えてともに作り上げた映画「blank13」が、現在公開中だ。映画監督として初の長編作品を仕上げた齊藤工が生み出した本作は、13年間音信不通だったリリー・フランキー演ずる父とその家族にまつわる感動と静謐の見事なまでのバランスや、多彩な出演陣が繰り広げるシュールな即興劇も含め、話題を呼んでいる。

同世代でもあるふたりの表現者による初の共演も見所であり、今回は80年代前半生まれのふたりによる「blank13」というインディペンデントな挑戦に焦点を当て、話を聞いてみた。

ー齊藤さんは、映画監督として今作「blank13」で長編作品デビューとなりましたね。

齊藤:長編というか、まあ、中編ですね。当初は映画を撮るというつもりでもなく、この作品の後半にあるコント的な映像を作ろうという話でスタートし、徐々に形が変わって行きました。そもそも台本を仕上げた時には40〜50分程度の想定で、でもきっと編集の段階でも伸びるだろうな、と。そんな中いろいろと海外での映画祭の出品募集要項をWEBサイトで確認していたら、70分あれば長編映画祭に出品できることも知り。ならばこれ、映画にできそう、という話になったんです。

ーコント企画から映画になった、とは!「既存にはないものを作る」という意識はありましたか?

齊藤:映画監督であり俳優のグザヴィエ・ドランが登場したぐらいから、僕は、映画の文法なんてものは無いのかも、と感じていました。恐らくゴダールとかも元々そうだったはず。“スタンダードな映画”みたいなものが生まれた時点で、逆にいえば、まったくスタンダードではない文法や角度からも映画が生まれるのではないか、って。結局、常に亜流と主流のイタチごっこだとも思いますし。なんとなく映画って「2時間無いといけないんじゃないか」とか「起承転結がこうでないと」とかあるような気がしてしまうけれど、本来そういうのは無いはずと最近あらためて感じています。そういう意味で「blank13」は、元々コント企画だったところにドラマ性が生まれてきたことで、結果的に“何々風”というものでは無くなった、というだけのことだと思います。

高橋:もちろん俳優として僕は工さんを存じ上げていたものの、今回のお話をいただいた時点で面識は無かったので、なぜ監督をされる作品の主演という形でお話をいただけたのか、考えていました。実際にお会いすると、これまでの作品もいろいろ観ていたとお話ししてくれて、僕も人づてには工さんのことをたくさん聞いていたし「ああ、こういう風につながることもあるんだ」と、純粋にとても嬉しかったです。その後、出来上がって来た脚本を読ませていただいた時に印象に残ったのは、人の死が淡々と書かれる中で、何かとても本質的なものに迫っている、と感じたこと。作品はどんな作品でもどこまでいっても虚構。その虚構の中で、どれだけ「リアリティ」と言ったところで、結局は「嘘」。けれどそのことをどう表現していくのか、自分も表現をする身として、もちろん思うところはいろいろあるんです。「結局リアリティってなんなんだろう」と。そして、本当でも嘘でもないけれど“真実”のようなものが作品の中に奇跡的に落とし込まれる瞬間というのがある、とも思う。その“奇跡みたいなもの”を「blank13」の脚本を読ませていただいた時にとても感じて、これは是非やらせてください、と。

ーメジャーもインディーも関係無い、もっとそういったものを超えた深く広い自由な世界をおふたりで一緒に作っていかれたのかな、と感じました。齊藤監督は、多くの仲間とともに本作に取り組まれたかと思いますが、そこへ、これまで面識のない高橋さんにオファーしたのは何故だったのでしょう?

齊藤:確かに、結果的には本当に同世代の仲間たちで仕上げていった感じにはなりました。音楽を担当してくれた金子ノブアキ(RIZE / 俳優)は自分と幼馴染みだし、ほか、プロデューサーも編集やミキサーもみんな同世代でしたから。皆、お互いに面識が無くても、同じ頃にどういう時代のカルチャーがあったか、ということが共通言語になっているというのは、仕上げの段階でも感じました。でも一生さんについては、確かに気づけば年齢はひとつ違いだけれども、むしろ世代がどうのということではないんです。僕にとっては、そういうことでは括れない、稀有な方なので。一生さんとの会話の中でたくさんヒントをいただきましたし。


Photo by Miho Fujiki

高橋:僕は、同世代であることは自然と入ってきました、だからどうという意識は、ほとんど無かったです。“工さん”という存在として認識していて、年齢が近いからなどということはあまり考えていなかった。とてもフラットな状態だったと思います。

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