環ROY「ラップをきっかけに知った見方と対話の重要性」:80年代生まれの焦燥と挑戦


「自分が生活しているところでは欠点だと思っていた部分も、場所を変えれば利点に変わる」


ー自分の中の前提が壊される面白さ、ですね。

環ROY:普段自分が当たり前だと思っていたことも、場所を変えれば当たり前ではなくなる、ってことを大切にしたいです。自分が生活しているところでは欠点だと思っていた部分も、場所を変えれば利点に変わったりしますよね。例えば、身長が低い人がいたとして、バスケットボールの世界ではハンデになるけど、ジョッキーの世界では有利に働きますよね。身長が低いことも、見方によってまったく意味が変わってきますよね。だから窮屈に感じたり、うまく行かないと悩んでいたりするときに見方を変えてみると、それだけで生きやすくなったりすることもあると思うんです。そういう意味で、共同作業をするということは、さまざまな見方ができるように練習している感じだと思います。

―それが多様なコラボレーションにつながっていると。

環ROY:そうですね。なにかしら対話したいんだと思います。普通に暮らしていたら拒絶したり否定してしまいたくなるようなことも、由来や理由を知ることで、否定したり拒絶したりしなくなれるかもしれない。受け入れることができないとしても、知れば少し納得できることってあるじゃないですか。“こうあるべきだ!”と思うことも減りますし、“世界にはこんなことがあってはいけない!”って気持ちも減っていくと思うから。喧嘩も少なくなるかもしれないし。

ー確かにそうですね。

環ROY:例えばなんですけど、インドのカースト制度って、僕らからすると意味が分かんないじゃないですか。差別にしか見えないし、なんでそんなことするんだろうって否定したくなりますよね。けど調べていくと、最初、イラン高原の方からアーリア人がインドへ侵攻してくるんです。で、もともと住んでた原住民のドラヴィダ人と接触がはじまる。そこで、アーリア人が感染症にかかりまくってしまうんですね。なんでかっていうとその土地の病、いわゆる風土病をドラヴィダ人が保有していたからです。ドラヴィダ人は元々そこに住んでいたので、既にその風土病は乗り越えて耐性を持っている。そうなったとき、今みたいに科学が発展していない世界観なので、アーリア人たちはなんで病気になるんだ?って困惑しますよね。でも分からない。だからドラヴィダ人ってのは呪われてる民族なんだ、近づいちゃいけないんだってしてしまったそうなんです。だからアーリア人たちは、ドラヴィダ人を隔離して、近づけないようにしようってなっていくんですよね。そういった歴史の名残がカーストとして今も残っているそうです。なんかそういう話を知ると、全部を受け入れることはできないにしても、そんな理由があったのか、って思えるじゃないですか。仕方ないっていうのもなんか違う気がするけど、一概には否定もできなくなるというか。

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