ジミ・ヘンドリックスの伝説的スタジオ「レコード・プラント」誕生秘話

レコード・プラントの共同設立者ゲイリー・ケルグレンとジミ・ヘンドリックス 1968年(Photo by Jay Good/Frank White Photo Agency)

史上最高のギタリストとエンジニアのゲイリー・ケルグレンが『エレクトリック・レディランド』を生み出した、ロック史上屈指のレコーディングスタジオの誕生秘話。

1967ー68年の冬、ジミ・ヘンドリックスはニューヨークでレコーディング・スタジオを探していた。セカンドアルバム『アクシス:ボールド・アズ・ラヴ』がFMラジオを中心に大きな反響を呼んでいた当時、彼はロンドンで録ったデモ音源の数々を磨きあげるためのスタジオを必要としていた。

ワーナー/リプライズは次回作(後に『エレクトリック・レディランド』と題される)の制作費として、ヘンドリックスが優れたスタジオで思う存分に作業できるだけの予算を与えていた。しかし当時の状況について、アル・クーパーはこう語っている。「ニューヨークのレコーディングスタジオはどこも予約で一杯だった。だから私はヘンドリックスにこう助言したんだ。『締め切りを気にせずに作業したいなら、自分のスタジオを持つことだ』」

ロンドンから戻ったばかりだったヘンドリックスは、イギリスでレコーディングを共にしたエンジニアたちに大きな信頼を寄せるようになっていた。「ロンドンで共に作業したエンジニアたちは、みな人間味のある人物ばかりだった」ヘンドリックスは自叙伝『Starting at Zero』でそう綴っている。トッププロデューサーのトム・ウィルソン(ボブ・ディラン、サイモン & ガーファンクル等)は、彼がヴェルヴェット・アンダーグラウンドの『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』、そしてフランク・ザッパの『マザーズ・オブ・インヴェンションのおかしな世界』のレコーディングを共にした中西部出身の若きエンジニア、ゲイリー・ケルグレンとヘンドリックスを引き合わせた。彼はエリック・バードンの反戦争アンセム『スカイ・パイロット』で聞くことができる、サイケデリックなフェイザーサウンドを得意としていた。

ケルグレンと作業を共にした1967年夏、ヘンドリックスはストロベリーシェイクを片手に、アメリカ国歌のインプロビゼーションに興じていた。アンペックスの8トラックレコーダーを初めて使用したそのセッションで、ヘンドリックスは『真夜中のランプ』におけるスモーキーなサウンドにのめりこんだ。しかし何より彼が気に入ったのは、ケルグレンの人間性だった。

「過去のレコーディングでは、ヘンドリックスは不当な扱いを受けてばかりだった。ゲイリーとの作業が実り多いものになったのは、彼がアーティストを人間らしく扱うことを心得ていたからだ」ヘンドリックスのアーキビスト、ジョン・マクダーモットはそう話す。

「ヘンドリックスはゲイリーのことをとても気に入ってた」ケルグレンと共にレコード・プラントを設立したクリス・ストーンはそう話す。「まるで同じ飛行機に乗り込んだパイロット同士のようだったよ」

1967年8月にイギリスでリリースされた『真夜中のランプ』はチャート入りを逃したが、翌年春に行われたサードアルバムのレコーディングで、ヘンドリックスは再びケルグレンとタッグを組んだ。しかし2人は、レコーディングスタジオを抑えられないという事態に直面してしまう。

Translated by Masaaki Yoshida

RECOMMENDEDおすすめの記事


Current ISSUE

RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事