レッド・ツェッペリン『聖なる館』:知られざる10の事実

4. アルバムの基盤はミック・ジャガーの別荘、スターグローヴ邸でレコーディングされた

1970年発表のサードアルバム以降、レッド・ツェッペリンは典型的なスタジオではなく、地方の邸宅でレコーディングを行うようになった。そのアイディアは、ニューヨークのウッドストックにあったボブ・ディランの隠れ家の近くに別荘を所有していたザ・バンドから拝借したものだった。「ザ・バンドが『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』や『地下室』をどうやって録ったのか、俺はずっと気になってた。そんな時に、彼らがどこかの別荘をレコーディングに使ったっていう噂を耳にしたんだ」ペイジはGuitar World誌にそう語っている。「本当かどうかは分からなかったけど、面白いアイディアだと思った。自宅とスタジオの往復を繰り返すんじゃなく、スタジオがある家に住み込むっていうのがとても新鮮に思えたんだ。音楽を作ることだけに集中できる空間に身を置くことで、どういうものが生まれてくるのか興味があった」

ペイジが目をつけたハンプシャーの邸宅ヘッドリー・グランジで、バンドは『レッド・ツェッペリンⅢ』『レッド・ツェッペリンⅣ』のレコーディングを行った。しかし1972年の春にそこが使用不可になると、バンドはイースト・ウッドヘイの近くにあったミック・ジャガーの別荘、スターグローヴスへと移った。ジャガーが1970年に地元の富豪から55,000ポンドで購入したその邸宅は、ストーンズの『メインストリートのならず者』『スティッキー・フィンガーズ』のレコーディングで使用されたほか、直近ではザ・フーが『フーズ・ネクスト』のセッションに使用していた。1972年の5月にそこでスタジオを構えたバンドは、邸宅内の多様なスペースをフルに活用すべきだと考えた。「どの部屋も素晴らしく個性的な音の鳴りをしてた。中でも温室はドラムに最適だったから、そこがボンゾの所定位置になった」クレイマーはそう話す。「ジミーのアンプを暖炉の中に設置して、マイクで上から狙ったりした。あれこれと工夫しつつ、その空間でできることをやるというのがコンセプトだったんだ」

レコーディングの指揮をとったクレイマーは、ドライブウェイに駐められていたストーンズのレコーディングトレイラーに陣取った。時にはトレイラーの後部ドアを開放し、庭でプレイバックを確認することもあったという。「庭に集まったボンゾ、プラント、ペイジ、ジョーンズの4人は、『ディジャ・メイク・ハー』や『ダンシング・デイズ』のプレイバックに合わせて、まるでグルーチョ・マルクスのコメディのように、足並みをそろえてステップを踏んでた」アルバム収録曲の大半はエレクトリック・レディ、そしてロンドンのオリンピック・スタジオで仕上げられたが、想像力の翼を広げたスターグローヴ邸での経験は、バンドの最終作のサウンドにも反映されている。「初めてあそこに行った時は、何をすべきなのかよく分からなかった」ペイジは伝記作家のリッチー・ヨークにそう語っている。「メンバー全員がひとつ屋根の下で暮らしながら、当時それぞれが持っていたアイディアを形にしていった。結果よりも、そのプロセスそのものに意義があった」

5. 『ディジャ・メイク・ハー』というタイトルは、ある古いコンサート会場についてのジョークにちなんでいる

レゲエの要素を大胆に取り入れたこの曲は、ツェッペリン史上最も議論を呼んだ楽曲のひとつであり、メンバー間でも意見が分かれたという。その謎めいたタイトルも様々な憶測を呼び、スピリチュアルな内容であると考えた多くの人が「ディア・メイカー」と発音した(ロバート・プラントはそのことを面白がっていた)。しかし実際には、同曲のタイトルはあるイギリスの古いコンサート会場についての、優れたオチつきのジョークにちなんでいる。「うちの嫁はウエスト・インディーズに行ったよ」「無理やり行かせたんだろ?」(「D’you make her?」はコックニー訛りで「ジャマイカ」と聞こえがち)「違うよ、あいつが勝手に行ったんだ」面白いと感じるかどうかは受け手次第だが。

同曲はアルバムのオープニングトラックのレコーディング中に、ふとした流れで生まれたという。「『永遠の詩』を録り終えた俺たちは、その出来にすごく満足してた」プラントは1973年にZigZag誌にそう語っている。「その時は朝の5時頃で、俺は前から興味のあったレゲエ風の曲をジャムってみようと提案した。『ディジャ・メイク・ハー』はその時に生まれたんだ」元々は60年代初期のメロドラマ風オールディーズとレゲエを組み合わせるというアイディアだったものの、ボーナムの爆発的なドラムは曲の方向性を180度転換させた。「ジョンはジャズとレゲエだけにはまるで興味がなかったんだ」ジョーンズはそう話している。「ジャズはまだ我慢出来るようだったけど、レゲエのドラムだけはごめんだと言ってた。あいつにとっては退屈すぎたんだ。『ディジャ・メイク・ハー』のセッション中、あいつはずっとシャッフルのパターンを叩き続けてた。まるで気持ちがこもってなかったし、俺も退屈してた。レゲエのドラムとベースはパターンがはっきりと決まってるけど、やつはああいうドラムを叩いた経験がほとんどなかった。セオリーを完全に無視してたから、はっきり言ってどうしようもない出来だった」



リズム隊の2人とは対照的に、プラントは同曲を大いに気に入っていたため、『ディジャ・メイク・ハー』はカップリングの『クランジ』とともに、1973年9月にアメリカでシングルとしてリリースされた。ちょっとしたジョークのような曲をリリースしたことを、ペイジは後に「独りよがりだった」と認めているが、それには同曲に対するリスナーの冷ややかな反応が関係しているに違いない。ライナーノーツに記された、1960年にスローバラード『エンジェル・ベイビー』をヒットさせたロージー&オリジナルズへのシャウトアウトも、バンドのファンに曲の趣旨を理解させることはできなかった。「あんなに嫌われるなんて思いもしなかった」ペイジは苦笑しながら、作家のデイヴ・シュルプスにそう語っている。「『プア・リトル・フール』やベン・E・キング風の50年代のオールディーズとレゲエの融合、それがあの曲のコンセプトだった。でもリスナーには伝わらなかった」

ジョーンズは時間が経つにつれて、同曲に対する考えを改めるようになったという。それでも1991年に行われたアラン・ディ・ペルナとのインタビューで、彼は同曲は決して自分のお気に入りではないと念を押している。「あの曲を弾くのは気が引けるよ。ジョークのつもりだったあの曲を、正直俺は好きになれなかった。ロバートはすごく気に入っていたけどね。バンド内でも意見が分かれることはあるってことだよ」

6. 『クランジ』はジェームス・ブラウンに対するオマージュだった

『聖なる館』の中でも最もファンクに接近したこの曲は、『ディジャ・メイク・ハー』と同様に、バンドの熱心なファンの間で議論を呼んだ。スタジオでのルーズなジャムセッションの最中に生まれ、ボーナムの独特のドラミングによって方向性が変化したという経緯はどちらにもに共通している。「俺たちが書いた曲に、ボンゾが風変わりな変拍子のビートを持ち込むことはよくあった。ジャムの最中に面白いアイディアを考えつくのもあいつだった」ジョーンズはミュージシャンのマット・レスニコフにそう語っている。「ボンゾは奇妙で風変わりなリフを生み出すのが得意だった。『クランジ』はそこから生まれたんだ」同曲でボーナムは8分の9拍子という、当時としては極めて異例なパターンを叩いている。「あの余った半拍が肝なんだ、聞いた瞬間にハッとさせられた」ペイジはそう話している。シンコペーションが効いたビートは、ペイジが1970年から温めていたギターリフと見事にマッチした。「『クランジ』ではボンゾが生み出したグルーヴに、ジョーンズが下降するベースラインを乗せて、俺はただそのリズムに乗っかった」彼はGuitar World誌にそう語っている。「あの曲ではストラトを弾いてる。ジェームス・ブラウン風のタイトなノリが欲しかったんだ」

プラントもまた、ソウルのゴッドファーザーのヴォーカルスタイルにインスパイアされたという。ほぼリハーサルなしでレコーディングに臨むブラウンは、曲の途中でバンドに指示を出すことが多かったが、それが彼のトレードマークのひとつとなっていた。『クランジ』におけるプラントのスポークンワードのパフォーマンスは、ブラウンに対するイギリス流の回答だった。「ボンゾと俺による『ブラック・カントリー』に出てくる会話みたいなのを収録するっていう案もあった。『マジかよ、よぉ同士調子はどうだい?』みたいなさ」しかし架空のダンス(Crungeは衝撃音の擬音語であり、ダンスとは無縁の言葉)のステップについての解説をライナーノーツに載せるという案と同様、そのアイディアは最終的には見送られている。それでも、イントロのルーズなドラムソロやプラントのスポークンワード等、完成した楽曲にはJBの影響ははっきりと現れていた。「ロバートのジェームス・ブラウンに対するオマージュは微笑ましたかったね。ブリッジのない曲なのに、『ここでブリッジだ』なんて言ってさ」クレイマーはTeam Rock誌にそう語っている。「曲の最後に登場する『忌々しいブリッジはどこだ?』っていうセリフ、あれは内輪のジョークだったんだ」

1975年3月にL.A.フォーラムで行われてコンサートで、バンドは同曲の特別バージョンを、ブラウンの『セックス・マシーン』のカヴァーと併せて披露している。『ディジャ・メイク・ハー』とは対照的に、ジョーンズは『聖なる館』のA面を締めくくる同曲をとても気に入っていた。「タイトな『クランジ』はすごくいい出来だと思う。俺のお気に入りの一つだね」

Translated by Masaaki Yoshida

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