訃報:ザ・ステイプル・シンガーズのイヴォンヌ・ステイプルズが死去、享年80歳

80歳で亡くなったイヴォンヌ・ステイプルズ(Photo by Charley Gallay/Getty Images for NAACP Image Awards)

ザ・ステイプル・シンガーズの一員として活躍したイヴォンヌ・ステイプルズが米国現地時間4月10日、80歳でこの世を去った。ステイプル・シンガーズはゴスペル風のファンキーな楽曲を得意とし、1970年代に数多くのヒット曲を世に出したソウル・グループである。イヴォンヌの死因は結腸がんとニューヨーク・タイムズ紙が伝えた。

イヴォンヌは1937年にシカゴで誕生。両親はオセオラとローバック・“ポップス”・ステイプルズ。彼女は兄弟姉妹と共に子供の頃から教会で歌っていた。父の“ポップス”・ステイプルズは1948年にクレオーサ、パーヴィス、メイヴィスと一緒に家族バンドを結成し、1953年からレコーディングを開始した。

パーヴィスがベトナム戦争で徴兵されたため、イヴォンヌがバリトン担当として加入。イヴォンヌ加入後、グループの正式メンバーとして作った最初のアルバムが1971年の『The Staples Swingers(原題)』。これは米国南部の有名ソウル・レーベルStaxからリリースしたアルバムで、グループはこのアルバム以外にも多数のレコードをこのレーベルからリリースした。

イヴォンヌが加入したタイミングは、グループにとっての転換期となる重要な時期でもあった。彼らは結成からずっとゴスペル界で活動を続けていて、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアもステイプル・シンガーズのゴスペル作品のファンと公言していたのだが、イヴォンヌが参加した頃にR&Bのメインストリーム・シーンへと舵を切ったのである。そして、1970年代に発売されたR&Bレコードのトップ10のうちの10枚がステイプル・シンガーズの作品となった。その中には、現在のR&Bソングの原点的存在の「I’ll Take You There(原題)」や「Let‘s Do It Again」があり、後者は偉大なソウル・シンガー、カーティス・メイフィールドがプロデュースしたことでも知られている。

1970年代に次から次へとヒットを飛ばしたステイプル・シンガーズの影響で、R&Bのメインストリーム・シーンのサウンドはゴスペル・ファンクから離れ、四つ打ちや機械的なリズムがメインのディスコ・ビートを取り入れ、当時の最先端だったドラム・マシンやシンセサイザーを駆使したキラキラするサウンドへと変貌を遂げた。ステイプル・シンガーズは1980年代もレコード制作を続けたが、商業的には1970年代ほどの成功は収めなかった。

1999年、ステイプル・シンガーズはロックンロールの殿堂入りを果たし、それを見届けるように2000年には父“ポップス”・ステイプルズが他界。また、2005年にはグラミー特別功労賞を受賞した。ちなみに、イヴォンヌの姉クレオーサは2013年に鬼籍に入っている。

近年、イヴォンヌの妹メイヴィスがソロ・アーティストとして目覚ましい活躍をしており、ライ・クーダーやウィルコのジェフ・トゥイーディと作った作品は高評価を受けている。イヴォンヌはメイヴィスのバックシンガー兼ツアー・マネージャーとして長年行動を共にしていたとニューヨーク・タイムズ紙が報じている。

ステイプルズ家の友人ビル・カーペンターは、「イヴォンヌはシンガーとして表舞台に出る気が一切なかった」と、ニューヨーク・タイムズ紙に述べている。「家族みんながイヴォンヌの声を素晴らしいと褒めてもお構いなしだった」と。

ザ・ステイプル・シンガーズ:ソウル・トレイン・メドレー
 


ザ・ステイプル・シンガーズ:1999年、ロックンロークの殿堂入りの任命式



ザ・バンド feat. ステイプル・シンガーズ「The Weight(原題)」(映画『ラスト・ワルツ』から)



Translated by Miki Nakayama

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