身近なスターの顔と表現者の声が融合、福山雅治ドーム公演ライブレポ

福山はソロでドームを満杯にしてしまうほどのスターなのに、ライヴを観ていてその距離がすごく近く感じるアーティストだ。バラードはまるで耳元で歌ってくれているようだし、傷を癒すための曲は手を取り歌ってくれている感じがするし、応援ソングは本当に背中を押してもらっている感じがする。それくらい距離が近く感じる。

知人の写真家がこう語ってくれたことがある。「撮りたいものがどうやったら枠から外に飛び出して行くかを考えて撮るんだよ」と。表現というものは枠から飛び出ることなのかもしれない。そして、福山も枠から飛び出している。ただし、福山の場合、過激さエキセントリックさで枠から飛び出しているのではない。福山はステージやブラウン管や電波という枠から飛び出して、いつも聴き手のところまで来てくれるのだ……。ふとそんなことをMCを聞きながら思った。

MCで徹子さんの話をした後、夏を先取りして夏歌を6曲披露した。夏歌1曲目は「虹」、2曲目は「蜜柑色の夏休み」だった。そして夏歌3曲目の「あの夏も 海も 空も」では映像の仕掛けで、歌の主人公が列車に乗っている演出がされた。で、その映像を観ていたら、主人公はどこかに行っているのではなく、こちらに向かって来てくれているのが分かった。こちら側に来てくれているから、その歌が身近に聴こえるし、聴き手のこちらもじっとしたままではなく勇気を出して、新しい一歩を踏み出そうと思えるのだ。

4曲目に行く前に、動く列車とは違う映像が流れた。過去の夏の映像で、すぐに福山の故郷・長崎の映像だと分かった。映像はどんどん時代を遡って行った。時代は遡っても、映像の日付は8月9日で、場所は長崎だった。そして「自由も平和も当たり前ではない」という言葉が映し出された。

福山自身も「平成最後の夏がやってきます」と短く言葉を紡ぐと、「クスノキ」という歌を歌いだした。この歌は故郷・長崎の被爆と核の世界を綴った曲だ。MCでこの歌について、あるいは原爆について語ることはしなかったが、この歌は言葉で語る以上の何かをドーム満員のオーディエンスに伝えた。福山は身近なスターというだけでなく、表現者として大切なメッセンジャーという役割もしっかりと果たしている。

夏歌全6曲の後は、ライヴ後半戦に突入。その後半戦は「友よ」で始まった。後半は「Pop star」といった未発表曲を含む、最近の曲が構成の中心となった。そして、その最近の曲に関しては“身近なスター”とは少し違う福山を感じることができた。曲の合間にはオーディエンスから「ましゃ~♡」という声援が飛ぶが、「Humbucker vs. Single-Coil」「Pop star」「聖域」といった曲の合間には「福山!」と叫ぶオーディエンスもいた。

来年、福山は50歳になる。表現者としてこの先、どんな作品を残して行くべきかを考えても不思議ではないし、そうした心境が曲に出ているのかもしれない。そのへんはもし機会があればインタビューで本人に聞いてみたいと思った。「友よ」から始まり「Dear」で終わった本編後半は、福山というアーティストがまだまだ深化する予兆にも感じた。

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