ブルース・スプリングスティーン『闇に吠える街』あなたが知らない10の真実

8. アルバムのもともとのタイトルは『バッドランド』で、コロンビア・レコードのアート部門がアートワークを完成させていた。

スプリングスティーンとEストリート・バンドが、アトランティック・スタジオで行ったレコーディングの初期段階で、楽曲「闇に吠える街」の作業を何度か見送っていて、この曲が最終的に完成したのが1978年3月だった。そのため、バッドランドをアルバムの仮タイトルとして、レコーディング・セッションを続けていた。スプリングスティーンの新作を是が非でも出したいと躍起になっていたコロンビア・レコードは、1977年10月にこの仮タイトルでアルバム・ジャケットを作るようにアート部門に指示したのである。

この時点での曲目は、「バッドランド」、「ストリーツ・オブ・ファイアー」、「プロミスト・ランド」、「闇夜へ突走れ」、「キャンディーズ・ルーム」(この時点では「キャンディーズ・ボーイ」という曲名だった)、「レーシング・イン・ザ・ストリート」で、全曲『闇に吠える街』に最終的に収録されている。また、この時点で収録予定だったが最終的にボツになった曲が2曲あった。1曲目は「Don’t Look Back」。これは「闇に吠える街」に差し替えられた(1998年代のアルバム『トラックス』で初公開された)。2曲目は「独立の日」で、1980年のアルバム『ザ・リバー』に収録された。同アルバム収録の「ドライブ・オール・ナイト」、「愛しのシェリー(原題:Sherry Darling)」、「恋のラムロッド・ロック(Ramrod)」も『闇に吠える街』の制作中に作られ、レコーディングされた楽曲である。

9. 「バッドランド」のクラレンス・クレモンズの有名なサックス・ソロは土壇場で加えられた。

『闇に吠える街』の楽曲がどんどん形になっていく過程で、スプリングスティーンが気づいたことは、自分が求めるハードで怒りのこもったサウンドにするためには、それまでのレコードで取っていたアプローチよりも、もっともっとギター寄りのサウンドにする必要性だった。そして、これが示すことは、長年一緒にやってきたクラレンス・クレモンズのサックスの出番が極端に少なくなることであった。「『闇に吠える街』のギター・サウンドがああなったのは、音楽自体に都会的雰囲気が少なくなったからだ。俺は『サックスの出番が少なくなって、そこにギターが入ることになると思う』と予告はしていたよ」と、2010年にローリングストーン誌で述べている。「サックスは温かくてメロディックだ。それが好きで使ってきたし、オーケストラ的な使い方をしていると言える。でも、俺の場合、不快でヒリヒリするような熱さを出すならギターしかない。あの音楽にはギターの持つ攻撃性と刺々しさがほしかった。そして、俺自身もギターを弾く機会を得たってわけだ」。

スプリングスティーンが最終的にサックスが必要だと気づく前に、このアルバムはマスタリングに出されていた。しかし、彼はクレモンズを呼び寄せて、今では有名な「バッドランド」のサックス・ソロを加えることにしたのだった。「『バッドランド』はサックス・ソロを入れる前にマスタリングが終わっていた。あそこに最初あったのはギター・ソロだったんだ」と、スプリングスティーンが自叙伝『ボーン・トゥ・ラン〜』で説明している。「完成品を聞いて、サックスが足りないと思った。そこでギター・ソロを取り出して、そこをクラレンスにプレイしてもらったんだ」。

10. 『闇に吠える街』と『ザ・リバー』のジャケット写真は両方とも、1978年にフォトグラファーのフランク・ステファンコが同じセッション中に撮影したものだ。

「パティ・スミスとは「Because The Night」で少し知り合いになった」と、『明日なき暴走 The Promise〜』でスプリングスティーンが述べている。「ボトム・ラインに彼女のライブを観に行ったとき、ジャージー南部のフォトグラファーの名前を教えてくれて、『あなたの写真をこの人に撮ってもらうべきだわ』と言ったんだ」。そのフォトグラファーの名前がフランク・ステファンコだった。彼の写真の荒涼とした雰囲気をたたえた繊細さが『闇に吠える街』のヒリヒリするコンテンツに完璧にマッチしていた。4日間行われた撮影セッションで撮影された写真に満足したスプリングスティーンは、彼の写真をこのアルバムのジャケットにした。さらに、2年後のアルバム『ザ・リバー』でも、このときステファンコが撮影した写真を使っている。

「ブルースはカリフォルニアで『ザ・リバー』の作業をしていた」とステファンコが2017年にローリングストーン誌に語った。「彼から電話があった。実は『闇に吠える街』の撮影セッションで撮影した写真のコンタクトシートを彼も持っていたんだ。そこで、あのときの写真をざっと見てみたらしい。それから2週間、彼は毎日、東部時間の午前2時に滞在中のカリフォルニアから電話してきて、『シート番号28のネガ番号4を見てくれ。この写真の右側を若干暗くできるか?』みたいに頼んできた。その電話を切ると、僕は暗室に入って一晩かけて作業して、翌朝にフェデックスで彼に発送していたよ。それを2週間繰り返して、最終的に彼は『Corvette Winter』で来ていたのと同じ格子縞のシャツを着たクローズアップのポートレート写真を選んで(自叙伝『ボーン・トゥ・ラン』の表紙もステファンコの写真)、それが『ザ・リバー』のジャケットになったんだ」。

Translated by Miki Nakayama

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