メタリカのラーズが語る「俺が自分でも怖いと感じる唯一の点は、恐れない能力があること」の意味

メタリカのラーズ・ウルリッヒ(Photo by John Lamparski/Getty Images)

1983年7月25日はメタリカのデビューアルバム『Kill ’Em All』がリリースされた日だ。ここでは2016年のローリングストーンに掲載されたラーズ・ウルリッヒの「これまでで最も内省的なインタビュー」をお届けする。

35年の間、ラーズ・ウルリッヒは率直で大胆不敵なドラマーとしてメタリカに従事してきた。デンマーク人のプロテニスプレーヤー兼ジャズ評論家の息子として生まれたウルリッヒは、幼少時代から音楽に囲まれて育ち、子どもの頃にディープ・パープルに恋してしまった。それを起点に、モーターヘッド、ダイアモンド・ヘッドなど、その後のメタリカへとつながる影響を与えたバンドを次々と発見して行く。ティーンエイジャーになったウルリッヒは、1981年にシンガーでありギタリストのジェイムズ・ヘットフィールドと一緒にバンドを組み、それ以来、このバンドの楽曲は、「エンター・サンドマン」、「ワン」、「メタル・マスター/Master of Puppets」などのヒット曲を含むほとんどをこの2人が作ってきた。

作品では5枚目のアルバム『Metallica』から9枚目の『Death Magnetic』までがビルボードで初登場1位を記録し、1991年リリースのセルフタイトルのアルバムは四半世紀で最も売れたアルバムとなり、この作品によってメタリカは世界で最も人気のあるメタルバンドとなった。来週(※2016年11月の第3週)、メタリカは通算10枚目のアルバム『ハードワイアード…トゥ・セルフディストラクト』を発売する。いつも通りウルリッヒが曲作りに参加しており、典型的な破滅的で強打連発の激情型メタル曲が12曲収録されたこの2枚組CDはメタリカのレーベル、ブラックエンドからリリースされる。

このアルバムの発売に先立ち、ウルリッヒはローリングストーン誌にこれまでで最も内省的なインタビューの掲載を許可してくれた。その中で、彼は成功がもたらす負の副産物、後悔への対処法、自分の原動力について語っている。

―成功の最も良い点は何ですか?

個人的な側面では家族に還元できること。音楽の側面では自分が望む方向へ進む自由を持てることだ。好例をあげるなら、一回に2週間以上のツアーに出なくて済むことだろう。(2008年の)デス・マグネティックのときは、ツアーを2週間単位で区切って、合計で200公演近く行った。長期間、子どもの顔を見ないのは避けたいからね。

―では最悪な点は?

「最悪な点」というのはないと思う(笑)。泣き言を言うのをやめて、誰かが自分のことを気にかけてくれていることに満足すべきだと思うね。

―外出すると見つかることを嫌う人もいるようですが。

名声やセレブリティという言葉で表されることに関しては、自分の中で妥協点を見つけているよ。俺たちはカリフォルニア北部に住んでいるし、迷惑を被るほどではない。トム・クルーズみたいなレベルの有名人がどんなふうかは、俺には分からないけどね。俺たちの場合は、入りたいレストランに入れるくらいに有名って感じだし(笑)、誰かに邪魔されることも、不快になるほどパパラッチに追いかけられることもないぜ。

―あなたのヒーローは誰ですか?

体制に挑む人たちだ。この通りの順番じゃないけど、俺のオヤジ、スティーヴ・ジョブス、ジェイムズ・ヘットフィールド、(画家の)マーク・ロスコ。それに無私を促す人々。つまり、(セールスフォース・ドットコム最高経営責任者の)マーク・ベニオフとか。あと、完全に衝動で動くリッチー・ブラックモアも。彼の口やギターから今から3分後に何が出てくるか、俺たちには予想できないだろ。(メタリカの共同マネージャーの)クリフ・バーンスタインはいつも俺に他とは違う考え方をしろ、自主的に考えろ、常識の枠の外で考えろって教えてくれたんだ。

―ヒーローの一人がジェイムズ・ヘットフィールドなのはどうしてですか?

だって彼は一番クールなミュージシャンだもの。35年も俺みたいなヤツに耐えているんだぜ。その点で感謝の気持ちを感じないでいられない。彼の才能の大きさが正当に評価されていないかもしれないって思うことがあるね。

Translated by Miki Nakayama

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