三浦大知、20年のキャリアを支えた身体論とは?

ーそれこそアトラクションの数を突然10から1にシフトさせて驚かすようなタイミングにおいてこそ、三浦さんのようなソロアーティストにはフットワークの面でアドバンテージがあるのでは? つまり、どちらの振り幅にも身体一つで行けるという意味で。

それは自分でも感じます。例えばデジタルや機材の進化というのはもちろんエンターテイメントの世界においてすごく重要だし大きいとは思います。でも結局はそれを“どう使うか”が最も重要なポイントなわけで。

ー知恵であり、RYHMESTER流に言えばまさに「K.U.F.U.」(=工夫。RYHMESTERのナンバー)ですよね。

そうそう!(笑)。しかも、その“どう使うか”であり“どう見せるか”の部分って、いまだにかなりアナログですからね。お客さんから見たら最新技術っぽく見えるステージの転換も、実際には死角にいるスタッフさんが人力でガラガラと押してくれていたりするわけだし。

ー確かに。バックステージはかなり人力ですからね。

何より僕自身の“歌って踊る”というスタイル自体が相当アナログだといえるので、特にそうした意識が強いのかもしれないんですが。

ー三浦さんはFolder時代の2000年から変声期のため5年間の休業期間を設けました。そのとき、テレビでアッシャーのステージを見て、“歌って踊る”を体現している人が日本でほとんどいないと気付き「じゃあ自分がやる!」と現在のスタイルに辿り着いたそうですね。

はい。

ーでもそれって見るのと実際にやるのでは大違いというか、いざやってみたら間違いなくハードなわけじゃないですか。思い直そうとしたタイミングなどはなかったんですか?

なかったですね。そもそも僕は6歳の頃からダンススクールに通い始めたんですけど、そこが最初から歌とダンスを分けずセットで教える方針のスクールだったんです。

ーああ、なるほど。

僕も最初はダンスを習うつもりで通い始めたんですけど、気が付いたら歌っていたという(笑)。総合的なエンターテイナーでありパフォーマーを育てるというスクールだったんですね。だから歌うときは必ず身体を動かしながら歌わなきゃダメだし、踊りは踊りで、曲の歌詞や世界観をきちんと理解した上で、「こういう歌詞だからこういうダンスを踊るんだよ?」というレッスンだったので。でも、いま質問されて考えてみれば、確かに別々に習うパターンだってアリというか、むしろ世の中的にはそっちのケースの方が多いんでしょうね。

ーだと思います。つまり、もしそのスクールが歌と踊りをセットで教える方針ではなかったとしたら、“歌って踊る”という三浦大知の現在のスタイルは形成されていなかったかもしれない?

そう思います。僕が教わったのは牧野アンナさんという方で、今でも第一線で活躍されている振付師なのですが、つくづく彼女のお陰だと思います。


Photo by Hirohisa Nakano

ーちなみにソロデビューをして以降も、歌か踊りのどちらかに絞ろうと考えた局面というのは一切ありませんでしたか?


はい。でもそれはたぶん自分に課したとかキツくても我慢したとかでもなく、シンプルにどちらも大好きだったからです。もちろん歌って踊るのは体力を使うし、ある意味ではアスリート的な部分もあると思います。で、そう考えると、本当にいつまでこのスタイルを続けていけるのか、正直なところ、自分でも分からなくて。

ーなるほど。

ただ、これまでもそうだったんですが、パフォーマンス全体が100パーセントだとすると、ダンスの割合の方が多いときもあれば、歌の割合の方が多いときがあったっていいわけです。それが60:40になったり40:60になったりしながら、40代、50代になっても三浦大知としてやれていればいいのかな?とは思っていて。だからどちらかにしようという瞬間も全くないし、歌と踊りで表現できることをずっと模索し続ける三浦大知でありたいんですよね。

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