N.W.A『ストレイト・アウタ・コンプトン』: 知られざる12の事実

N.W.A『ストレイト・アウタ・コンプトン』ツアーのミズーリ州カンザスシティKemper Arena公演 出演直前のメンバーたち(アイス・キューブ、イージー・E、DJイェラ(前列)、ドクター・ドレー、アバヴ・ザ・ロウのLaylaw、ラッパーのThe D.O.C.(後列))1989年6月撮影 (Photo By Raymond Boyd/Michael Ochs Archives/Getty Images)

N.W.A「ファック・ザ・ポリス」の起源から著作権収入に端を発するメンバーの脱退劇まで、ヒップホップ・クラシックの発売から30周年を記念し、彼らの知られざる12の物語を紹介する。

デビュー作『ストレイト・アウタ・コンプトン』のリリースによって、N.W.Aは盛り上がりを見せ始めていたギャングスタ・ラップ界の大本命となり、ライバルたちに大きく差をつけてみせた。「ファック・ザ・ポリス」がFBIから非難されたことや、「ストレイト・アウタ・コンプトン」のミュージックビデオがMTVで放送禁止扱いとなったことが逆に話題となり、瞬く間にN.W.Aは世界で最も危険かつスキャンダラスなグループのひとつとなった。

1万2千ドルという低予算で数週間のうちに制作された『ストレイト・アウタ・コンプトン』は、業界のサポートがほとんど得られなかったにも関わらず、1988年8月8日にリリースされて以来じわじわとセールスを伸ばし、翌年4月にはゴールドディスクに、7月にはプラチナムに認定された。同作は後に「ローリングストーン誌が選ぶ史上最高のアルバム500枚」に選出され、2015年に公開されたN.W.Aの伝記映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』は大ヒットを記録した。これを受けて同作はビルボードで38位まで上昇し、同年にトリプル・プラチナムに輝いた。

ドクター・ドレー、アイス・キューブ、イージー・E、MCレン、DJイェラという存在を世に知らしめた『ストレイト・アウタ・コンプトン』はギャングスタ・ラップ史上屈指の名盤だが、映画では描かれなかったことも少なくない。同作の発売30周年を記念し、アルバムにまつわる12の知られざる事実を紹介する。

1.  リリース当初、メンバーたちは自分たちの音楽を「ギャングスタ・ラップ」とは見なしていなかった

「ラジオ受けする曲を書くべきだと考えながらも、俺たちはその見込みが全くないミックステープを作り始めた。生まれ育った環境についてラップし始めたのはその頃さ」アイス・キューブは2015年に本誌にそう語っている。「俺たちが突きつめたそういうスタイルは、今じゃ一般的にギャングスタ・ラップと呼ばれてる。でも当時の俺たちは『リアリティ・ラップ』と表現してた。ギャングスタ・ラップっていうのは、メディアが勝手に作り上げたイメージさ」


2.『ストレイト・アウタ・コンプトン』のリリース前に、N.W.Aは解散の危機を経験していた

N.W.Aが前座を務めた1987年秋のソルト・ン・ペパのツアー終了後、アイス・キューブは大学に進む意志をメンバーに伝えた。その時点でN.W.Aがリリースしていたのは、「パニック・ゾーン」の12インチのみだった。「当時ラップで食っていくっていうのは現実的じゃなかった。だから俺は大学に進むことにした」自伝『Attitude』にはそう綴られている。彼はアリゾナ州のフェニックス工科大学に進み、architectural drafting and designの学位を取得したが、その間も音楽活動から完全に遠ざかっていたわけではなかった。彼はイージー・Eのソロデビューアルバム『イージー・ダズ・イット』に2曲を提供しており、1988年9月にはN.W.Aに復帰した。

3. アイス・キューブはコンプトンの出身ではない

ロサンゼルスのサウスセントラルで生まれ育ったアイス・キューブは、10代の頃に出会ったイージー・Eの「ボーイズ・ン・ザ・フッド」にリリックを提供している。N.W.Aのデビューアルバムを作るにあたって、彼は自らをメンバーたちの故郷であるコンプトンの一員とみなすことにした。「他のメンバーがコンプトンについて歌ってるのに、俺だけサウスセントラルをレペゼンしてるのはおかしいだろ」伝記本『Original Gangstas』で、彼はそう語っている。「それにコンプトンとサウスセントラルは、硬貨の表と裏のような関係にあるんだよ」



Translated by Masaaki Yoshida

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