英アビー・ロード・スタジオ大改革、リブランディングで若者世代を新規獲得

アビー・ロード・スタジオで演奏するノエル・ギャラガー

ロンドンの伝説的スタジオ「アビー・ロード」。手頃な使用料と新たにチーフ・クリエイティヴ・アドバイザーに就任したナイル・ロジャースによって、ファブ・フォーたちのかつての遊び場が新たに生まれ変わった。

グライム・アーティストのNovelistはカレッジ在学中からアビー・ロードで音楽を作りたいと思っていた。アビー・ロード・スタジオは言わずと知れたロンドンの伝説的スタジオで、ビートルズからアデルまで数々のヒット曲がレコーディングされたスタジオである。「今でも覚えているけど、音楽の授業中に教育助手に『ああ、俺はアビー・ロードに行くんだ』と言ったときのそいつの顔って言ったら、ほら、こっちの言葉を本気にしていない人の表情ってわかり易いだろう」と、21歳のNovelistが言う。「それを見た俺のほうがちょっと笑っちまったよ」と。しかし、彼はここ1年の間に自分の言葉を実現した。音響的に複雑な自身のデビュー・アルバム『Novelist Guy』の最後の仕上げを行ったのである。この作品は2018年春にリリースされ、イギリスのマーキュリー賞の最終選考に残った。

「俺にとってこれは商取引だったね」と、夢を叶えた男が言う。「本当に、『ああ、そうさ、Novelistはアビー・ロードへの道を見つけたよ』って感じ。いや、そうじゃねぇな、他のスタジオでやるセッションと同じ感覚だったから。それに、あのクオリティにあの金を払うのは厭わなかった。だって、あれは俺のデビュー・アルバムだし、永遠に色褪せない作品だから」と。

ここ2年間をかけて、アビー・ロードは音楽界の上流階級の顧客以外のクライアントを受け入れる方向に舵をきり、順調に変化を遂げていた。新たに小規模なスタジオを作り、そこではかつてビートルズが使用したものと同じ機材を使って作業できるようにした。大きなスタジオでブルーノ・マーズやエド・シーランが使ったジョン・レノンのタバコで焦げたピアノや、ポール・マッカートニーお気に入りの「レディ・マドンナ」のスタインウェイを、小さなスタジオでも使用できるのだ。アビー・ロードは高名なプロデューサーであり、シックのリーダーでもあるナイル・ロジャースをチーフ・クリエイティヴ・アドバイザーに任命した。これは新たに作られた役職で、ロジャースはスタジオを向上させるフレッシュなアイデアを出しつつ、スタジオのアンバサダーとしての仕事も行う。さらに、新たにショップも併設した。これまでは最寄りの地下鉄駅近くにあるブートレッグ店で関連グッズを買う以外に方法がなかったが、ビートルズの『アビイ・ロード』のジャケットよろしく横断歩道で写真を取りたがるビートルズ・マニアが、このショップでブランド提携したビートルズグッズを直接購入できるようになったのである。実際のところ、アビー・ロードの経営は上手く行っているのだが、今回のスタジオの大改造は、有名スタジオの若返りを図った形になった。

この若返りのきっかけの一つは、スタジオのスタッフが幅広い音楽制作者とファンにサービスを提供していないと気づいたことだ。何十年間もアビー・ロードは音楽エリートが到達したい目標の場所だった。1931年、EMIが1829年に建てられたジョージ王朝様式のビルをスタジオとしてオープンし、交響楽団が好んで使うスタジオとなる。当時のスタジオのエンジニアたちは白衣を着て、新たなテクノロジーを開発していた。例をあげると、EMI所属のエンジニアの一人がステレオ・サウンドの先駆者となったし、イギリスで最初のデジタル・シングルがレコーディングされたのもアビー・ロードなのである。イギリスが愛するシャドウズの著名なシンガー、クリフ・リチャードは、50年代にロックンロールをこのスタジオに持ち込んだ。60年代に入るとビートルズがアビー・ロードを我が家のように使い、70年代はピンク・フロイドがそれに続いた。映画音楽の作曲家ジョン・ウィリアムスは1981年に『レイダーズ/失われたアーク《聖櫃》』のサウンドトラックをここで録音し、これが新たな映画産業を生み出し、その流れで近年ドルビーアトモスのミックスを行う部屋が増築され、ここで『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』とINXSの『Kick』のサラウンド・バージョンを手がけるサウンドトラック・プロデューサーとエンジニアが作業を行った。

Translated by Miki Nakayama

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