名曲誕生の舞台裏、突然の解雇…業界屈指の名ドラマーがエルトン・ジョンと共に歩んだ50年

ー実際あなたは素晴らしい声の持ち主ですよね。

ありがとう。歌うのは好きだからね。それまではバックコーラス専門だったけど、ヴォーカリストとして評価されたことはうれしかったよ。今でもあのレコードの曲をライブでやってほしいってよく言われるんだけど、あれはやっぱり別物だからね。でもバンドの一員としてじゃなく、ソロのアーティストとして成功を収めたことは誇りに思ってるよ。

ーポップスターになりたいとは思わなかったと?

ガラじゃないからね。でも何度かテレビには出たよ。(『アメリカン・バンドスタンド』に)4回くらい出演して、ディック・クラークと親しくなったんだ。ツアーに出るべきだって彼から言われたけど、僕にフロントマンは無理だって答えたよ。

ー1980年代初頭にはエルトンのバンドに再加入しましたが、どういった経緯があったのでしょう?

 (ギタリストの)デイヴィー(・ジョンストン)から電話をもらって、アルバムにバックコーラスで参加しないかって提案されたんだ。二つ返事でオーケーしたよ。その後また電話をもらって、今度はバンドに復帰しないかって持ちかけられた。「もちろんさ、場所を言ってくれればどこにでも行く」そう答えたんだ。僕らの絆はそうやって復活したんだよ。

ー復帰後初のステージでドラムを叩いたとき、どう感じましたか?

いい気分だったね。あのマジックを再び間近で感じられることができて、すごく興奮したよ。彼の音楽の一部でいられることは、僕にとってこの上ない喜びなんだ。彼のコンサートの客層は多様で、おじいちゃんやおばあちゃんが孫を連れてきてたりする。50年近く前に書いた「クロコダイル・ロック」なんかを、最前列の小さな子供たちが熱唱してるんだよ。僕らミュージシャンの役割は、人々を笑顔にさせることだ。最近は暗いニュースが多いからこそ、嫌なことを全部忘れて思い切り楽しむ時間が必要なんだ。そういう時間を提供する側にいられる自分は、本当に恵まれてると思うよ。

ーディー・マーレイとは親しかったのでしょうか?

とてもね。僕らは互いを兄弟のように感じてた。実際、僕らは結婚を通じて親戚同士になったんだよ。僕の最初の妻は双子の姉で、彼は数年後にその妹と結婚したんだ。文字通りのファミリーになったわけさ。僕らは相性も抜群だった。今でも彼のことはよく思い出すよ。バンドのメンバーといても、彼のことが話題にならない日はないくらいさ。

ー彼が生きていたら、バンドを続けていたと思いますか?

そうだね、間違いないよ。

ーあなたは『ブレイキング・ハーツ』の後に再び脱退しますが、その理由は?

モーターレースがやりたくなったんだ。僕は車マニアで、長い間モーターレースに夢中だった。フェラーリに知り合いがいるんだけど、彼がある日電話してきてこう言ったんだ。「ロサンゼルスから60マイルほど北に行ったところにあるレース場で新しい車を試すんだけど、よかったら来ないか?」ってね。僕はレーシングスクールに通ってスーパーライセンスを取ってたから、現場でその車を少し運転させてもらったんだ。素晴らしいマシンで、僕は夢中になった。それで彼からこう言われたんだ。「なぁ、ちょっと音楽以外のことをやってみないか? これからフェラーリ・チャレンジっていう企画をアメリカに持ってくるんだけど、お前にどうかなと思ってさ」って。 世界中のチャンピオンが集うそのレースでは、マシンの性能はどれも似たりよったりだから、勝敗はドライバーの技術によって決まるんだ。それから4年間、僕はモーターレースに没頭した。でも結局はこの世界に戻って、また音楽を作り始めたわけだけどね。

ー90年代に表立った活動がほとんど見られなかったのは、カーレースに没頭していたからでしょうか?

その通りだよ。ロッド・スチュアートやリンダ・ロンシュタット、あとニール・ダイアモンドなんかのレコーディングに呼ばれたことはあったけどね。ロスを拠点にしつつ、時々他のアーティストの作品に参加してたんだ。

ー2001年には再び、エルトン・ジョンのバンドに復帰していますね。

またデイヴィーから電話をもらったんだ。「ツアーに出るんだけど、一緒にやらないか?」って誘わて、その場ですぐ返事をしたよ。「もちろんさ。リハはどこでやるんだ?」ってね。

ーあなたの復帰後に発表された『ソングス・フロム・ザ・ウエストコースト』は素晴らしい内容です。あなたが戻ってくるたびに、彼は優れた作品を完成させているように思えます。

そう言ってもらえてうれしいよ。僕が彼らのマジックの一部だってことだからね。そういう存在でいられることを誇りに思ってるし、自分は幸せ者だって思うよ。

ー以降17年間、あなた方は活動を共にしています。何がその関係を持続させているのでしょうか?

あるべき状態に落ち着いたってことじゃないかな。変わっていくこともあるけど、変わらないものものもある。僕らは今でも優れたレコードを作ってるし、バーニーの書く歌詞はやっぱり魅力的だ。そこに理由なんてなくて、ただ生まれてくるものなんだよ。今でもスタジアムを満員にできるっていうのは素晴らしいことだし、これから始まるツアーも最高の内容になるはずさ。3年に渡る長期ツアーで、その後のことは何も考えてないけどね。毎日を楽しんで生きていくだけだよ。

Translated by Masaaki Yoshida

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE