ポール・マッカートニーがエンジニア・ジェフ・エメリックを追悼「功績は音楽愛好家の記憶に残る」

ジェフ・エメリックへの追悼コメントを発表したポール・マッカートニー(Photo by Shutterstock)

ビートルズのエンジニアをつとめたジェフ・エメリックが亡くなったのを受け、ポール・マッカートニーが彼のユーモア、仕事観、音への挑戦を振り返る悲痛のコメントを発表。「(彼は)僕たちが投げかける山のようなアイデアに耳を傾けてくれた」と振り返った。

音楽エンジニアのジェフ・エメリックが火曜日、心臓発作で72歳の生涯に幕を閉じたのを受け、ポール・マッカートニーが追悼の意を表明した。今は亡きエンジニアのユーモア、仕事観、音への飽くなき挑戦を振り返った。ジョン・エメリックは、『リボルバー』『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』『アビイ・ロード』など、ビートルズの代表的なアルバムでエンジニアを務めた。ポール・マッカートニーは自身のwebサイトに「これからもずっと、彼のことを懐かしく思い起こすだろう。彼の功績はこの先も、音楽愛好家の記憶に残ることだろう」と、コメントを掲載した。

エンジニアの先駆け的存在だったエメリックが、最初にビートルズと仕事をしたのは1962年9月。16歳の彼は、このときEMIスタジオ(のちのアビーロード・スタジオ)のアシスタントだった。4年後、彼はバンドの音楽エンジニアに昇格。『リボルバー』を皮切りに、ビートルズの革新的なアイデアを実験的なテクニックで形にしていった。

マッカートニーは、好奇心旺盛で有名だったエメリックをこう振り返る。「彼にはユーモアのセンスがあって、それが僕たちのスタジオワークのやり方とうまくハマった。いつも僕らが投げかけるアイデアに耳を傾けてくれた。やがて、僕らが望むサウンドを熟知するようになって、それを実現するためにありとあらゆるテクニックを編み出した。バスドラム専用のマイクを使って、僕たち好みの音を見事に再現してくれたものだ。何時間もスタジオでエキサイティングな時間を一緒に過ごし、必ず最後にはいい結果を出すことができた」

元ビートルズはまた、1973年のアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』の際にもナイジェリアのラゴスでエメリックとタッグを組んでいる。「思い出すのは、未完成のスタジオに両手いっぱいのシングル盤を抱えていったこと。これらレコードを片っ端から聞かせて、アルバムで僕がやりたい方向性を彼に説明したんだ」とマッカートニー。「あんまり音を詰め込み過ぎないでほしい、と注文を出したのを覚えている。すると彼は、喜んで形にしてくれた」。

2人は長きにわたって友情を育み、マッカートニーの最新アルバム『エジプト・ステーション』のレコーディング中にもエメリックが顔を出したという。「いつも通り、気さくな感じだった。彼にミックスを聞かせたら、いいね!って親指をあげてくれたよ」とマッカートニー。

「愛をこめて、ジェフ。君と知り合えて本当に光栄だった」と、マッカートニーはコメントを締めくくった。

ビートルズ作品ではエメリックとともに印象的なドラムサウンドを作り出したリンゴ・スターも声明を発表し、亡きエンジニアを偲んだ。

「ジェフ・エメリックの訃報を聞いて、驚きと悲しみでいっぱいです」と、ドラマー。「彼は素晴らしいエンジニアで、スタジオでは僕たち全員をサポートしてくれました。彼とジョージ・マーティンのおかげで、僕たちは『リボルバー』で成長することができたのです。彼のことは一生忘れません。遺族の皆さんには、バーバラと僕から心からお悔やみを申し上げます。ピース&ラブ リンゴ xxx」

Translated by Akiko Kato

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