クインシー・ジョーンズを物語る26つの真実

娘が監督を務めた『クインシーのすべて(原題:Quincy)』が公開 (Photo by Bobby Holland/Michael Ochs Archives/Getty Images)

クインシー・ジョーンズの娘ラシダが監督を務めたNetflixの新たなドキュメンタリー『クインシーのすべて(原題:Quincy)』が公開される。常に音楽の複雑さと大衆へのアピールのバランスを取ってきたクインシー・ジョーンズ。偉大なシンガーたちへ歴史に残る数々の素晴らしい楽曲を提供した、彼の功績を改めて紹介する。

クインシー・ジョーンズはすべてを成し遂げた。ジャズマンからバンドリーダー、或いは人権問題の闘士からポップスの最も成功したプロデューサーまで、彼はありとあらゆる伝説のステータスを得てきた。彼がいなければ、我々の知るレスリー・ゴーアやマイケル・ジャクソンは存在しなかっただろう。彼はまた、ディジー・ガレスピー、フランク・シナトラ、アレサ・フランクリン、テヴィン・キャンベルら多くのアーティストとの輝かしいキャリアも歴史に刻んでいる。キャリアの中で最高の栄誉を受け、2018年で85歳になった彼は、ますます燃えている。アラン・ヒックスとジョーンズの娘ラシダが監督を務めたNetflixの新たなドキュメンタリー『クインシーのすべて(原題:Quincy)』では、ジャズ、ブルーズ、ポップ、ファンク、ラップなど、広く活躍した無鉄砲な博識者のユニークな一面を見ることができる。エンターテイナー、そしてポップカルチャーの創造者としてクインシー・ジョーンズが成し遂げた功績のすべてを紹介しよう。

1. アクティビズム【Activism】

ミュージシャンとして有名なジョーンズだが、博愛主義者や活動家としての顔も持つ。1960年代と70年代には、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアやジェシー・ジャクソンらと、人権問題から貧民街の経済開発のために尽力した。しかし、彼の活動家とミュージシャンとしての役割は、たびたびオーバーラップしてきた。彼はインスティチュート・フォー・ブラック・アメリカン・ミュージックの共同設立者で、クインシー・ジョーンズ・リッスン・アップ・ファウンデーションの創立者でもある。

2. バック・オン・ザ・ブロック【Back on the Block】

1989年までにジョーンズは、マイケル・ジャクソンの急成長と成功で得た栄冠を手に、あぐらをかいて立ち止まることもできたはずだ。しかし彼は、独自の音楽の世界へと戻ってきた。しかもひとりではなく。1989年にリリースされたアルバム『バック・オン・ザ・ブロック』には、マイルス・デイヴィスからチャカ・カーンまで、トップクラスのヴォーカリストやミュージシャンをゲストに迎え、R&B、ポップ、ジャズ、ラップを詰め込まれている。当時56歳のジョーンズには、まだまだ活力が残っていることを証明した。

3. シカゴ【Chicago】

世界中で活躍するジョーンズは、ティーンエイジの成長期をシアトルで過ごした。しかし彼の心の中にはいつも、生まれ故郷のシカゴがあった。サウスサイドで家族と暮らした少年時代、彼の母親がゴスペルを愛し、隣人の所有するピアノを弾いていたおかげでジョーンズは音楽と恋に落ちた。名声を得た彼は、ブラック・アーツ・フェスティバルを共同で立ち上げた。同フェスティバルは現在、シカゴのサウスループにあるコロンビア・カレッジで毎年開催されている。

4. ディジー・ガレスピー【Dizzy Gillespie

ジョーンズは少年時代からディジー・ガレスピーの大ファンだった。1956年、彼のヒーローだったガレスピーのビッグバンドのトランペッター兼音楽監督の仕事を得た。そこから長年に渡る両者の友好的な交流が始まった。ガレスピーのグループ内におけるジョーンズの存在感が増して行き、『ニュー・ウェイヴ!』(1963年)を始めとするボスのアルバムをプロデュースするまでになった。そしてジョーンズのアルバム『バック・オン・ザ・ブロック』のゲスト・ミュージシャンとして招かれたガレスピーは、心に響くプレイを聴かせた。

Translated by Smokva Tokyo

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