ヨ・ラ・テンゴの運命を変えたターニングポイント「パンクロックは誰にでもできるものではなかった」

ヨ・ラ・テンゴのアイラ・カプラン、10月10日の渋谷TSUTAYA O-EAST公演より。(Photo by Kazumichi Kokei)

今年3月に発表したニューアルバム『There’s a Riot Going On』を携え、10月にジャパン・ツアーを回ったヨ・ラ・テンゴ。結成34年を迎えたUSインディロックの良心は、どのように自分たちの音楽を形成していったのか。デビューから今日に至るまでの話を、アイラ・カプランに語ってもらった。

10月10日・11日の二日間に渡った東京公演はいずれも完売。初日は最新作のサウンドを反映した、メロウで静寂さが際立つ第一部と、往年の人気曲も飛び出すラウドな第二部からなるロングセットが披露された。この取材はその翌日、坂本慎太郎とのダブル公演を控えたリハーサルの合間に行われたもの。インタビュアーは音楽評論家の高橋健太郎が担当した。

ー僕は1956年の1月生まれなので、あなたとは同世代です(アイラは1957年1月生まれ)。僕は音楽ジャーナリストで、レコーディングエンジニアとプロデューサーもやっています。そして、妻(シンガー・ソングライターの朝日美穂)と一緒に20年間、音楽を作ってきました。それで今日のインタビュアーに起用されたようです。

アイラ:(高橋からCDを受け取って)ありがとう!

ー昨夜のコンサートを観ました。第一部には1970年代のブライアン・イーノやドイツのロックグループのような雰囲気がありました。僕だけが感じた幻影でしょうか?

アイラ:僕たちは確かにそういった音楽が大好きだ。最初の曲は特に、E-BOWの音がイーノっぽい音に聴こえるかもしれないから、君がそう思うのも理解できる。(コンサートの演奏について)誰が何と言おうと、その人が感じたことであるから、それは正しいことだと思う。

ー第一部の演奏にはステレオラブの姿も少し重なりました。90年代にはヨ・ラ・テンゴはステレオラブとのスプリット・シングルを発表していますよね。

アイラ:ステレオラブといえば面白いエピソードがあるんだ。友人でステレオラブが大好きな人がいた。僕たちは当時まだ、彼女たちの音楽を聴いたことがなかった。僕たちとその友人は練習スペースが同じで、彼はそこでデモを録音したりしていた。ある日、彼は僕らの演奏を聴いて、「君たち、本当にステレオラブを聴いたことがないの?」と言ってきたんだ。きっとよく似ていたんだろうね。それで、「いや、聴いたことがない。良いバンドだとは耳にしているから、聴いてみたいんだけどね」と答えたら、彼は「今はまだダメだ。先に曲を録音してから、ステレオラブを聴いてくれ!」と言ってきたんだよ(笑)。

でも、僕たちは、自分たちが好きな音楽を演奏しようとしているだけで、誰かにこう思われようなどという意識はしていないよ。それ以上は、具体的なことをあまり言いたくないな。

ー第一部のその雰囲気は新しいアルバムにも共通するものでしたが、それはやはり、ジェームズ・マクニューを中心に、バンド自らエンジニアリングやプロデュースをしたことと関係しているのでしょうか?

アイラ:そうだと思う、その工程はいつも楽しんでやっているから。『Painful』(1993)の制作中、僕とジョージア(・ハブレイ)が作曲している最中に、初めてジェームズがその場にいて、音のレコーディングをしてくれた。このアルバムで初めてロジャー・ムーテノと一緒に仕事をしたんだけれど、彼は僕たちと同じくらい、アルバムのテクスチャーや雰囲気をこだわることに楽しみを感じてくれたんだ。この話は長くなってしまうけど……。

ーどうぞ。

アイラ:僕らは昔ある時、バスルームでレコーディングしていた。音がよく響くからね。その時に、蛍光灯が「ジリジリ」と音を立てていた。だから電気を消したんだけど、歌を録音する前に、その「ジリジリ」という音も録音しておいた。その音を加工して、アルバムに使うことにしたんだ。同様の感じで、トイレの水を流す音も使った。そんなことをして、ただ楽しんでいたんだ。だけど、スタジオでは(コストがかかるので)時間を気にしてしまう。「今日はスタジオで何本ヴォーカルを録ったの?」と訊かれたとして、「ああ、トイレの音を録音したんだ」としか言えないのでは困ってしまうよね(笑)。

でも、自分たちのリハーサル・スペースでは、どれほどゆっくり作業をしてもいいし、何の目的意識もないまま作業してもいい。それは僕たちの自由だ。だから(新作では)そういう感じで作業を積み重なっていった。そこはデジタルレコーディングの良い点でもある。24トラックしかないわけではないからね。だから、僕たちが大好きなやり方で音楽を作るという贅沢に甘んじることが、簡単に楽しくできた。


最新作『There’s a Riot Going On』ではバンド初のデジタル・レコーディングを解禁。トラックも無制限で制作された。

ーロジャー・ムーテノと作ったアルバムは4枚くらいでしたっけ?

アイラ:もっとあるよ。全部で7枚かな。

ー僕も一度だけ、ロジャーと仕事したことがあります。1992年にニューヨークのスカイライン・スタジオで。

アイラ:そうなんだ。僕たちもあそこで『Painful』を作ったよ。

ー自分たちでエンジニアリングをやる上で、ロジャーとやってきたことは役立っていますか?

アイラ:もちろん。全ては過去にやったことの積み重ねだ。ロジャーの前は、ジーン・ホルダーと一緒に何枚かアルバムを作った。ジーンはヨ・ラ・テンゴのことを、僕たちよりも好きだった。尊敬していたdB’sのメンバーが、僕たちの活動をそんなにまで支援してくれるというのは、大きな意味を持っていた。当時の僕らはまだ自信がなかったから、そのおかげとまでは言えないけれど、自信を持つまでの道へと導いてくれたんだ。


ジーン・ホルダーが手がけた『Fakebook』(1990)収録曲「The Summer」。彼はその後、2015年の前作『Stuff Like That There』で再びプロデューサーとして起用されている。dB’sは70年代のNYパンクと80年代以降のUSオルタナ・ロックを繋ぐ、パワーポップの名バンド。

アイラ:ロジャーは本当にたくさんのことを教えてくれた。それに、僕たちがやりたいことの全てに賛成し、そういう方向に進めるよう後押ししてくれたんだ。最近、Beatink(日本のリリース元)がリイシュー企画をまとめていて、僕も歌詞シートを直すために古い曲を聴き直したりしているんだけど、僕たちの歌い方は、昔と比べて変わったと思う。今は、自分たちが歌いたいように歌っている。でも昔のアルバムでは、「こうでなければいけない」と思いながら歌っていたような感じがするよ。ロジャーは、「自分たちが歌いたいように歌う」という姿勢を強く支援してくれた人だった。

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