インターポールが振り返るデビュー時の苦難、ストロークスと築いたNYロック黄金時代

-『ターン・オン・ザ・ブライト・ライツ』の再現ライブも控えているので、当時の話も聞かせてください。自分たちの音楽が「ロックンロール・リバイバル」「ポストパンク・リバイバル」と呼ばれたことについて、どんな感情を抱いていましたか?

ダニエル:当時の僕たちにとっては受け入れづらい部分もあった。そういう表現を意識していたわけではなかったし、当時はSNSも普及する前で、そういうシーンのことをよく知らなかったからね。自分たちの活動に集中していたのもあるけど、まだそういうレベルに達していない気がしていた。あのアルバムを出す前に、僕たちは4年くらい活動していたけど、当時は注目されてなかったからね。ストロークスやヤー・ヤー・ヤーズ、その他のバンドのことも知らなかった。メディアがNYのロックシーンを取り上げるようになるまで、そういう動きがあったことに気づかなかったんだ。

だから、そのシーンに僕たちが含まれていると知った時は驚いたよ。ようやくマタドールと契約したことで、周囲から注目されるようになったのも嬉しかった。実際、ストロークスやヤー・ヤー・ヤーズは素晴らしいバンドだ。彼らのアルバムは歴史に残ると思う。そんなバンドと同じ時代を過ごしたのは光栄だし、それから17年くらい経った今も、こんなふうに当時の話をしているなんて思わなかった。

-2000年代初頭のNYシーンを振り返った、「Meet Me in The Bathroom」という本も昨年刊行されましたよね。

ダニエル:まだ読んでないんだ。

-そういった本が出ることで、当時のシーンが歴史化されるのはどう思いますか?

ダニエル:悪い気はしないよ。著者のリジー・グッドマンは僕の友人なんだ。あの本に掲載されたインタビューは、たしか6年くらい前のものでね。自分が答えたことも忘れていたくらいだ(笑)。一冊にまとめるのに苦労したみたいだけど、クールな人だしインタビューの内容もよかった。彼女は当時からシーンに関わっていたし、バンドの多くと友達だったから協力を得られたんだ。この本は世界中で広まっていて、僕も様々な国のインタビューで質問されるから、人々がこんなにも興味を持っていることに対して少し驚いている。さっき話したザ・キュアーの公演でも、「ビーチに行った時にあの本を読んでいたんです!」と声をかけられたよ。

人々があの本を読んで、当時のことを詳しく知ろうとしたり、共感したりしているのを見ると、僕が以前読んだ「Please Kill Me」という70年代中旬のロックシーンについての本を思い出す。読んでいてすごく楽しかった本だ。「Meet Me in The Bathroom」も、あの本のような読まれ方をしているのかもしれない。ただ、70年代のNYにおけるロックシーンは本当に革命的だったから、2000年代初頭のそれが同等だったのかはわからないな。

-「Obstacle 1」でのギターカッティングを聴くと、テレヴィジョンと重なる部分も少しある気がします。『ターン・オン・ザ・ブライト・ライツ』には「NYC」という曲も収録されていますが、NYの音楽から受けた影響はありましたか?

ダニエル:そうは思わないな。僕らはいつも素直な状態でリハーサルに臨んでいる。最近もそうだし、昔からそうだった。(制作に取り掛かる時点で)アイデアが山のようにあり、それが尽きることはない。外部に何かを求めるということはないよ。特に、現在のNYのロックシーンについて、自分にはあまり語る権利がないと思う。旅行やツアーでNYを離れていることも多いし、シーン自体も複雑化しているから。それに、NYのシーンについて意見するなら、僕が昔そうであったように、NYに身を捧げていなくてはいけない。

-なるほど。

ダニエル:テレヴィジョンの『マーキー・ムーン』は紛れもなく名盤だけど、NY出身だからという理由で、ストゥージズやカンの名作と並んでいるではない。バンドの出身地は関係なくて、まずは作品が根本にあるんだ。(ドイツ出身である)カンのアルバムを初めて聴いた時、リズムやドラムビートに対する考え方が変わった。わかりにくいかもしれないが、それは僕たちの音楽にもたしかに含まれている。インターポールの曲にカンみたいな瞬間があるとすれば、それは最高の褒め言葉だよ。



-『ターン・オン・ザ・ブライト・ライツ』をどんな作品にしたかったのか、改めて教えてください。

ダニエル:とにかくアルバムを作りたいという一心だった。時間もお金も予算も限られていたけど、この契約にありつくまでに何社ものレーベルから断られていたから、アルバムを作ること自体が夢だったんだ。目標としていたのは、ライブのように聴こえるアルバムを作ること。等身大で臨み、過剰なプロダクションが加えられていないアルバムを作りたかった。収録曲の半分は、もともと他の人と一緒にミキシングをしたけど、仕上がったものはライブをやっているように聴こえなかった。だから、リリースを6カ月遅らせてミキシングをやり直し、もっと直接的な響きになるようにしたんだ。

-昨年に再現ライブのツアーを回っていましたが、アルバムについて何か再発見したことはありますか?

ダニエル:再発見というよりは、忘れていた部分も多かったし、曲を再び練習する必要があったから謙虚さを取り戻す体験だった。収録曲の多くは昔からライブの定番だけど、なかには久しぶりに演奏する曲もあったからね。『マローダー』で作っていた曲をしばらく放置して、『ターン・オン・ザ・ブライト・ライツ』に集中し、アルバムの曲を演奏することは僕たちを謙虚にした。ファンがここまで期待しているとは思わなかったから。

あのアルバムには、人それぞれ思い入れがあるんだと思う。あのアルバムを聴いて、未来の妻に出会った人もいれば、子供が生まれた人もいるかもしれない。大失恋したかもしれない。そんな想いにどうやって応えればいいのか? 人々は何を求めているのか? 僕たちが導き出した答えは、なるべくオリジナルと忠実に、正直でありつつ、現在もこの場に存在していることを意識しながら演奏することだった。そうやってアルバムに対し、素直な解釈ができるようになっていった。とても充実した、そして謙虚な気持ちにさせてくれる体験だったよ。

-かつてのNYシーンから台頭して、今でも上昇曲線を描いているバンドはほんの一握りですが、インターポールはそのうちの一組だと思います。

ダニエル:本当にラッキーなんだと思う。他のバンドについては何も言えないけど、僕たちにとって一番困難だったのは最初の5年間だ。あまり注目されず、デモを送ってもレーベルに断られ続け、金もなくて、若くて、メンバーの自我が強かった頃。バンドをまとめるのは大変だった。そんな僕たちが今でも活動しているのは、一緒に集まって音楽を作ることで、ある種の快感や満足感のようなものを得られるから。評価やセールスとは別に、僕たちには音楽制作によって得られる何かがしっかりと実感できている。それこそが僕たちのケミストリーなんだ。そして、年齢を重ねて経験を積み、アルバムを何枚か出した今では、お互いの意思疎通もうまくできるようになった。だからバンドとしても、『マローダー』に対する思い入れは、他のどのアルバムよりも強い。

僕らは決してビッグになったわけではないけど、音楽に正直な感情が宿っているからこそ、根強いファンベースがあるんだと思う。それに僕たちは、他の誰かになろうとしてバンドをやってきたわけではない。インターポールのアルバムはすべて、バンドの数年間を記録したものだ。フガジも記録していくバンドだったけど、僕たちにできることはそれしかない。そして今、僕はこうして日本でインタビューを受けている。すごいことだよ。今でもそういうことに驚かされるんだ。



Interpol

Interpol Turn On The Bright Lights special show

日時:2018年11月6日(火)
会場:東京・マイナビBLITZ赤坂
OPEN 18:30  START 19:30
チケット:1F スタンディング ¥7,500
2F 指定 ¥8,000(税込/別途1 ドリンク)
https://www.creativeman.co.jp/event/interpol/

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