パール・ジャム『Vs.』 あなたが知らない10の事実

10. 同作からは6曲がシングルカットされたが、バンドはミュージック・ビデオを一つも作らなかった

プリンスと同様に、パール・ジャムのメンバーたちはレコード会社に強い不満を抱いていた。彼らのレーベルであるエピック・レコーズは、ミックスにおけるヴェダーのヴォーカルのレベルを上げるよう指示し(バンド側は即刻拒否した)、アルバムからのファースト・シングル「ゴー」のミュージック・ビデオ制作を提案した。ビデオを作ればMTVでヘヴィローテーションされることは確実だったが、バンド側はこの提案を拒否した。さらに「ドーター」「アニマル」「エルダリー・ウーマン・ビハインド・ザ・カウンター・イン・ア・スモール・タウン」「ディッシデント」「グロリファイド・G」等、アルバムのプロモーション期間中にシングルカットされた曲についても、ミュージック・ビデオを作ろうとはしなかった。バンドのそういったスタンスはその後も続き、2006年に「ライフ・ウェイステッド」が発表されるまで、彼らはミュージック・ビデオをひとつも作らなかった

アメントによると、バンドがそういった姿勢をとるようになったきっかけは、アメリカン・ミュージック・クラブのリーダーであるマーク・アイツェルの言葉だったという。彼はアメントと対面した際に「ジェレミー」を賞賛しながらも、同曲のミュージック・ビデオがそのイメージを台無しにしてしまっていると語ったという。「10年後、曲よりもビデオのイメージが記憶に残っているような状況を作り出したくないんだよ」。

メンバー全員がミュージック・ビデオを作らないという考えに賛同していたわけではなかったものの、結果的にその選択は功を奏した。「ビデオを作らないことが決まった時、俺はがっかりした」。マクレディは2006年に本誌にそう語っている。「俺自身はミュージック・ビデオを作るのが好きだったからね。せっかく与えられた機会を棒にふるなんて馬鹿げてる、そう思ってたんだ。でも俺たちが今もこうして健在なのは、あの決断のおかげだったと思うんだよ。ファンに背を向けたと思われたこともあっただろうけど、あれはバンドを続けていくために必要な選択だったと思ってる」。

「振り返ってみると、あれは英断だったと思うね」。ゴッサードは同インタビューでそう語っている。「他に道はなかったんだ。周囲の業界人や自身のエゴに振り回されていたら、俺たちはきっとどこかで終わっていたはずさ」。

Translated by Masaaki Yoshida

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