オスカー女優ティルダ・スウィントン、自身が選んだ代表作を振り返る

ティルダ・スウィントン(Photo by Denis Makarenko / Shutterstock)

デレク・ジャーマン監督作品から『サスペリア』まで、代表作に隠された創作プロセスについてオスカー女優ティルダ・スウィントンが語った。

「俳優になんて絶対ならないと思ってました」。ビバリーヒルズのホテルのスイートルームに座り、ティルダ・スウィントンが笑いながら言った。「今でも演技をするつもりなんてありません。やりたいことの邪魔ばかりされてる。こんなことをずっと続けていたら、本当にやりたいことなんて絶対にできないわ」

俳優を廃業するには、もう遅い。なぜなら、30年以上にもわたるキャリアを持つスウィントンが「こんなこと」と素っ気なく表現したものは、近年においてもっともスリリングで共感できる演技として私たちの記憶に決定的に刻まれたのだから。

11月5日に58歳の誕生日を迎えるスウィントンは、時には恐れ知らず、芸術家気取り、エキセントリックなどと評価され、役に必要なら人工装具を装着することも、アクセントを身につけて話すことも厭わない、どことなくエイリアンを彷彿とさせる変身能力の持ち主といったステレオタイプ的なレッテルを貼られてきた。

それでも、才気あふれるスウィントンの経歴を振り返れば、駆け出しの頃から演技に対して情熱を抱いていた表現者の姿を見出すことができる。スウィントンは常に演じるキャラクターとの痛烈な結びつきを表現してきた。こうしたキャラクターは完全な人物であると同時に、絶え間なく変化する個人でもあり(その好例が『オルランド』だ)、生命に満ちあふれながらも変化を強いる環境と対立関係にある。

今回のインタビューでは、スウィントン自らがガイドとなって、アートシアター系の初期の実験的な作品からアカデミー助演女優賞を受賞した『フィクサー』、さらには容赦ない悪役からストレスでギリギリの母親役について語ってくれた。彼女の言葉通り「やりたいことの邪魔ばかり」しながらも観客たちを魅了した作品を振り返ってみよう。

『エドワードII』(1991年)

スウィントンは、1994年に52歳でこの世を去ったデレク・ジャーマン監督の作品に数多く出演した。なかでも、1986年の『カラヴァッジオ』は彼女のスクリーンデビュー作だ。大学で演劇を学んだ後、俳優としてのキャリアを歩むべきか悩んでいた頃にスウィントンは実験的かつ政治的な映画監督に出会った。クリストファー・マーロウの戯曲を現代的にリメイクした1991年の『エドワードII』は、スウィントンとジャーマンという挑発的な組み合わせの代表作である。



「その頃のイギリスの映画はマーチャント=アイボリー・プロダクションズが手がけるような時代物が主流でした。私はそれを『ノスタルジア・シネマ』と呼んでいて、それには絶対に関わりたくないと思っていたの。当時はTV業界も人々から尊敬されていて、デビッド・リーンやアラン・パーカーのような巨匠たちが国際的に活躍していた。でも、自分がその世界に身を置くことがどうしても想像できなかった。そこでデレクに出会ったの。彼は私と同じように、芸術の世界から来たんです。出会ってすぐに意気投合しました。デレクは私に仕事をくれて、私はデレクの作品の一部になれた。そのときは演技なんてしませんでした。ホームムービー風のシナリオを作っていたんです。どちらかと言うと、パフォーマンスアートに近いものね。デレクは、職業的な俳優にならずに自分らしさを発揮する機会を与えてくれました」

「とりわけ、ある政治活動に関する議論が映画の製作を促しました。1980年代後半にトーリー党率いるイギリス政府がありとあらゆる恐ろしい規制を法律化しようとしていた時期があって、同性愛者の文化的な生活の改革を目的とした『セクション28』という条項もあった。活動家として積極的に政治に関わっていた頃、『私たちにはどんな映画が作れるだろう? エドワード2世を題材にしてみてはどうだろう?』という会話をデレクと交わしたの。エドワード2世は同性愛者の君主だから、間違いなく反響を巻き起こすと思いました」

Translated by Shoko Natori

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