2018年、TOTOの「アフリカ」がなぜか再注目されている

トーマス・ピンチョンは最新小説『Bleeding Edge(原題)』にこの曲を登場させている。そこでは、ドットコム企業のスタッフがあの9月11日の前日にニューヨーク市内のカラオケ店でこの曲を歌うのだが、彼らはサビの歌詞を「I left my brain down in Africa(俺の脳みそをアフリカに置いてきたよ)」と思い込んでいる。

CBSはネルソン・マンデラの葬儀のニュースでこの曲を流したのだが、これはTOTOのメンバーですら強い違和感を覚えたという(この曲のヴォーカリストで共同ソングライターのデヴィッド・ペイチは声明を出し、CBSはこの曲の代わりに南アフリカの楽曲を使うべきだったと主張し、「我々はネルソン・マンデラを称賛する」と付け加えた)。この曲にリアルなアフリカを求めることは、パリス・ヒルトンからフランス語を習うようなものだ。

「アフリカ」は1983年2月にナンバー1ヒットとなった。この曲はメン・アット・ワークのオーストラリア賛歌「ダウン・アンダー」を抑えてトップに立ったのである。音楽チャートのナンバー1を争って、地球上の一つの大陸が他の大陸を蹴落としたのはこれが最初で最後だろう(ちなみに大陸つながりで言うと、この直前にはエイジアが1982年で最も売れたアルバムを出している)。

ただし、メン・アット・ワークの「ダウン・アンダー」はリアルなオーストラリアを歌ったリアルな曲だ。オーストラリア人兄弟が地元のスラングで「ヴェジマイト・サンドイッチ」と歌っている。その点、「アフリカ」は全くの別物だ。ありもしない場所を恋しがる歌なのだから。

ヴォーカリストは場所も時間も忘れて、彼が一度も見たことのない故郷で、一度も起きたことのないロマンスに思いを馳せているのだ。彼はアフリカのことなど露ほども知らない。ただ、自分がいま陥っている悪夢よりも、そこが良い場所だと思い込んでいるだけで(彼は「今の自分を恐れている」と言ってもいいかもしれない)。近年の私たちはこの感覚を理解できてしまう。砂漠に憧れるこのロック・ソングと同じくらい現代の疎外感を表わす楽曲が他に見つかるだろうか?

80年代にこの曲が大好きだった人々でさえ、今の時代にこの曲がこれほど人気を得たことに仰天している(ナンバー1ヒット曲という点で1983年は大豊作の年だったが、歴史はデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズの「カモン・アイリーン」やマイケル・センベロの「マニアック」にはもっと優しいことだろう)。当時のTOTOは場違いな雰囲気を醸していた。1970年代に活躍したセッション・プロが集まったバンドで、ア・フロック・オブ・シーガルズやカジャグーグーと競合していたのだから。

そして、80年代特有の基準に照らし合わせても、この曲のビデオは驚くほど人種差別的だ。MTVがこのMVを放送しない理由がそれだろう。当時の人々は21世紀にはこの曲が忘れ去られていると思っていたかもしれない。しかし、この曲に流れる「アフリカ」への切実な憧憬に嘘はないし、それこそが時空を超えたポップ・スタンダードとなった理由だ。そして、今後もしばらくはこの曲があちこちで聴こえるだろう。2018年のアメリカで、すべての道は「アフリカ」に通ず。



Translated by Miki Nakayama

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