2008年大統領選を回想、オバマが勝利した夜にディランが珍しく発言

ロスベリー・ミュージック・フェスティバル2009でパフォーマンスするボブ・ディラン(2009年7月5日 ミシガン州ロスベリー)(Photo by Taylor Hill/FilmMagic)

2008年の米大統領選挙当日、ボブ・ディランは将来を楽観する気分に浸っていたのか珍しくステージで発言をした。その夜の出来事をローリングストーン誌のライターが振り返る。

「俺は1941年に生まれた」と2008年11月4日、ボブ・ディランはステージからオーディエンスに語りかけた。バラク・オバマが第44代米国大統領選挙の正式な勝利宣言を行う、ほんの少し前のことだった。「その年、パール・ハーバーが爆撃された。それ以来俺は、暗黒の世界を生きてきた。ところが今、事態は変化しようとしている」。

ステージ上でめったに言葉を発しないことで知られるディランによる発言は、強烈で衝撃的な瞬間だった。しかしそれから4年足らずでディランは、自らの発言から距離を置こうとしていた。恐らく、4年前の夜に本心を垣間見せたことを後悔しているのだろう。

「自分の言った、言わないは覚えていない」とディランは、2012年の大統領選挙の直前に行ったインタヴューで、ローリングストーン誌のマイケル・ギルモアに語った。「その発言で自分が何を言いたかったのかわからない。誰でも意味のわからないことを口走ることは時々あるだろう」

2008年のコンサート中のディランによる発言内容と彼の言わんとしたことを、私ははっきりと覚えている。実はオーディエンスのひとりとしてその場にいたのだ。当時ツイン・シティーズ(ミネアポリス=セントポール都市圏)で大学2年生だった私は、11月第1週の火曜日へ向けて秋学期をそわそわしながら過ごしていた。ディランが大統領選挙の当日という特別なシチュエーションの中、母校ミネソタ大学で初めて凱旋コンサートを行う、と発表したのだ。

2008年の秋、私は多くの米国の若者同様、将来が大きく開いて事態が変わろうとしている、という漠然とした感覚で、期待と興奮に包まれて過ごした。

選挙までの数か月間をオバマの選挙キャンペーンでボランティアとして過ごした友人たちも多かったが、19歳の私は、ますます盛り上がっていく、生きるか死ぬかの選挙の成り行きを理解していなかった。自分を取り巻く世界観は、権力と政治に直接触れながら学ぶのではなく、自分のお気に入りのアーティストによる発言を通じて理解する方が大きい。停滞したブッシュ時代を都会に住む温室育ちの白人ティーンエイジャーとして過ごし、大人になった私は、ミュージシャンや作家の批判の声など、疲弊した不満の表現を通じて政治を理解していた。ディランの『はげしい雨が降る』のように、時には直接的に、時には遠回しに、彼らの作品が語るものの方が私には重要だった。

私にとって11月4日は、何だか自分にはよくわからないものが始まる日という感じの政治的に重要な日でもあったが、それと同時に私個人にとっても重要な日だった。選挙日の夜、同じくディランの大ファンで私が長い間惚れていた女の子をコンサートに誘った。さらに、コンサート会場のノースロップ・オーディトリアムに到着した時、私たちの隣にいたのはなんとローリングストーン誌のコントリビューターで、当時私の大学で教えていたグリール・マーカスだった。彼はライターとしての私のヒーローでもある。

それから数時間、私はディランを観るマーカスを観ていた。私のアイドルがどのように皆のアイドルを観察するのかを見ながら、マーカスが何かをメモするたびに、ステージ上でどんな重要なことが起きているのかを理解しようと私は一生懸命だった。

Translated by Smokva Tokyo

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