ブライアン・メイが語る、クイーン昨年のツアーと映画『ボヘミアン・ラプソディ』

ー“レトロな要素”とはどのようなものでしょう?

ファンは、昔のヒット曲を期待している。僕らはそれらの曲をプレイする義務がある。嬉しい義務だ。でも、変化を加えて全ての曲を新鮮に保っておくのも悪くない。さらに、ビデオを使った演出も以前から考えている。ビデオ・スクリーンも今はコストが下がったから、多くのビデオ・コンテンツを取り込める。ビデオとステージ上の僕らが完全にシンクロするんだ。あまりネタバラシしたくはないが、ある“レトロな要素”が含まれているのは間違いない。フレディとプレイしていたあの頃とつながっている。最新技術で過去を呼び起こすんだ。

ーホログラムを使うのでしょうか?

いや、ホログラムではない。ホログラムを使ったこともあるが、期待通りにはいかなかった。しかも一般的に言われているホログラムは、本来のホログラムではない。あれはペッパーズ・ゴースト(視覚トリック)だ。僕らには、ライヴに対応したよりフレキシブルなものが必要なのさ。だからホログラムではない。ホログラムは使わないよ(笑)。別のものを用意している。

ー2017年は、『ウィ・ウィル・ロック・ユー』がリリースされてから40周年です。曲に合わせてアリーナのファンが足を踏み鳴らし、拍手する姿を見た時の感情を表現できますか?

(笑)『ウィ・ウィル・ロック・ユー』や『伝説のチャンピオン』のようなオーディエンス参加型の曲は、当時としてはとても新しいものだった。これらの曲が生まれた頃、ステージとオーディエンスとの関係はインタラクティヴなものではなかった。ファンは頭を揺らしたりはするが、その程度だった。レッド・ツェッペリンの曲に合わせて歌うことはなかった。でもある時、ファンが僕らの曲に合わせて歌っていることに気づいた。「悪くないな。ファンは黙って演奏を聴いていなければならないってことはない」と思ったよ(笑)。これは何か素晴らしいことだ、という新鮮な感覚だった。オーディエンスがステージ上の僕らと一体化し、ショーはバンドだけでなくオーディエンスのものとなっていった。そこで『ウィ・ウィル・ロック・ユー』や『伝説のチャンピオン』がヒットし、後に『レディオ・ガ・ガ』が生まれた。僕はその状況にワクワクしたし、今や世界的に広まったことに誇りも感じている。

クイーンの歴史上のある時期、それは上手く機能していた。例えばライヴ・エイド。僕らは、クイーンが出演することを知らないオーディエンスの前に登場したんだ。クイーンの出演が決まる前にチケットは売り切れだった。しかし『ウィ・ウィル・ロック・ユー』や『レディオ・ガ・ガ』が始まると、オーディエンスは自分たちに何が期待されているかを心得ていた。あの時僕らははっきりと悟った。社会的意識の如く、単なるロックのオーディエンス以上のものが生まれた瞬間だった。

ー今それらの曲はアメフトの試合中にも聴かれます。

そう。世界中どこでも。面白いことに、それらの曲は特にスポーツを思い描いて書いた訳ではなかった。可能性は感じていたのかもしれないが、それよりもオーディエンスのための曲だった。僕らのロック・ファンのための曲だ。僕らはやがて、人々にパワーを与えられるんだということに気づき始めた。

ーフレディとの最後の大きなツアーは、30年以上前の1986年のことでした。彼と回ったツアーで一番の思い出は何でしょうか。

家族を亡くしたような感じだった。僕らは克服し、人生は進み続ける。しかし、喪失感を完全に拭うことはできず、ある意味で克服できていないとも言える。同じバンドのメンバーとして長く、そしておそらく結婚相手よりも近い存在だった。僕は死ぬまでフレディを偲び続けるだろう。友人として、バンド仲間として、そしてクリエイティヴなパートナーとして。彼は本当にずば抜けた人だったと、僕は思う。

Translated by Smokva Tokyo

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