ガンズ・アンド・ローゼズ『チャイニーズ・デモクラシー』知られざる10の真実

5. 同作のリハーサル現場を訪れたシャキール・オニールは、フリースタイルのラップを提供した後、スタジオでザ・ワームを披露した

1997年4月、シャキール・オニールがガンズのリハーサル現場を訪れ、キーボーディストのディジー・リードとギタリストのポール・トバイアスと共にジャムセッションを繰り広げたことは、『チャイニーズ・デモクラシー』にまつわる最も珍妙なエピソードのひとつだろう。タコ・ベルのCM撮影のためにサンタモニカにあるスタジオに来ていたオニールは、隣のスタジオでガンズがレコーディング中だと聞き興味を示した。「ロビーの掲示板を見て、ガンズがレコーディングしてるって知ったんだ」彼は1999年にSpin誌にそう語っている。「それでスタジオをちょっと覗かせてもらったんだけど、ジャムろうぜって彼らが言ってきたもんだから、俺はフリースタイルで応戦したってわけさ。ロックバンドと音を合わせたのは初めてだったけど、楽しかったよ」

「彼は俺のキーボードの前に座って、シンセのリフを弾き始めた」リードは2006年にMy GNR Forumのインタビューでそう語っている。「その日は友達のシドがドラムを叩いてたんだ。彼がヒップホップのビートを叩き始めると、シャックがそれに合わせてフリースタイルをやって、ポールはギターを弾いた。シャックが『代わってくれ』って合図を送ってきたから、俺はそのポジションを引き継いで同じリフを弾き続けた。シャックはその気になったらしく、マイクを手にとって仲間たちと一緒にラップし始めた。俺たちのエンジニアは、その様子をずっとテープに録ってたんだよ」

さらにシャックはセッションの締めくくりとして、ザ・ワームを披露してみせたという。「2メートル超130キロオーバーの大男が、尺取り虫のように床を這う姿は圧巻だったよ」リードはそう語っている。スタジオにやってくるのは決まって日没後だったアクセルは、その現場には立ち会えなかったという。「俺自身は彼に会ったことはない」アクセルは2008年12月に『チャイニーズ・デモクラシー』の特設ウェブサイトで、バンドとシャックとの邂逅についてそう答えている。「彼とジャムったのはポールとディズだ」言うまでもなく、その音源がアルバムに収録されることはなかった。

6. バケットヘッドは特注の鶏カゴの中でギターをレコーディングした

ギタリストのロビン・フィンクは1997年にスラッシュに代わってGNRに加入したが、古巣のナイン・インチ・ネイルズへの復帰を理由に、1999年にバンドを脱退している。その後任を務めたのが、バケットヘッドことブライアン・キャロルだった。エキセントリックなプレイで知られる彼を引き入れたのは、同じくバンドに加入したばかりだったプライマスの元ドラマー、ブライアン・”ブレイン”・マンティアだった。ステージでもスタジオでも、KFCのバケツを改造したハットと、ブギーマンを思わせるマスクを着用したバケットヘッドは、ハービーと名付けられた操り人形を介してバンドのマネージャーとやり取りしていたという。「マネージャーはうんざりしてたよ」2015年にポッドキャストのI’d Hit Thatに出演したマンティアはそう語っている。「操り人形が何百万ドルもの金が動く仕事の話をしてるんだからな、奇妙もいいとこさ」。

育ての親は鶏だと主張しているバケットヘッドは、スタジオ内に特注の鶏カゴを組むよう依頼し、バンド側はその要望に応じた。「鶏カゴというよりも、小さなアパートみたいな感じだった」著名A&RのTom Zutautは、2008年にClassic Rock誌にそう語っている。「レコーディング時に使う椅子、それに小さなソファが置いてあった。あと首をちょん切られた鶏のゴム人形が、体の各パーツと一緒に天井から吊るされてた。そのカゴの中はハロウィーンというか、ホラームービーのワンシーンのようだった。中にはおもちゃやら何やらが持ち込まれてて、床には藁が敷き詰められてた。気のせいだとは知りつつも、スタジオ内に鶏の匂いが充満してるような気がしてたよ。マイクの位置を調整するアシスタント以外、誰もそこに足を踏み入れることは許されなかった。鶏カゴの中は彼の聖域なんだよ」

バケットヘッドは与えられた環境に満足している様子だったが、アクセルはインスピレーション源と称してハードコアポルノのDVDをカゴ内で鑑賞していた彼を叱咤したという。「さすがの彼も意気消沈した様子だった」Zutautはそう話す。「よほどこたえたのか、(アクセルに叱咤された後)彼は数日間姿を見せなかった。怒ってたというよりも、見たいものを見る自由が奪われたことに納得できなかったんだろう。アクセルはポルノそのものじゃなくて、そんな陳腐なものにインスピレーションを求める姿勢が気に食わなかったんだろうけどね」



7. 負のエネルギーがレコーディングを妨げていると感じていたアクセルは、超能力者に助けを求めた

エネルギーやオーラといった目に見えないものに敏感なアクセルは、アリゾナ州セドナに拠点を置く霊能者、シャロン・メイナードを頼りにしていた。バンドメンバーやローディー、さらにはレコード会社のエグゼクティブまで、彼女は写真からその人物のオーラを感じ取り、アクセルとの相性についてアドバイスをしていたという。2000年代初頭、『チャイニーズ・デモクラシー』の制作が再び行き詰ってしまった時、アクセルはTom Zutautと共にメイナードを訪ねることにした。

「アクセルはセドナに住む彼女に会いに行くことで、自分に付きまとっている負のエネルギーを振り払おうとしたんだ」ZutautはClassic Rock誌にそう語っている。「少なくとも、彼が感じ取っていたネガティブなムードは本物だった。なぜならスタジオのクルーたちは、アクセルのいないところで彼のことをバカにしてたからね」

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