ポストハードコアの伝説的存在、Jawbox復活の裏側をメンバーが語る

この数カ月、ボルティモアにあるロビンスの自宅でリハーサルを敢行。コレッタとバーボットはDC近郊から、バロカスはブルックリンから車を走らせた。バンド曰く、しばらく活動を休止していたがゆえに、より一層今回のプロジェクトが楽しみになったと言う。「みんな同じ理由で再結成に踏み切ったんだと思う。つまり、全世界が注目していない時期にやるからこそ面白いんだよ」とバロカスは説明する。「ちゃんと演奏できるか、お互いうまくやっていけるかという心配はあるよ。たとえ自信満々じゃなくても、少なくとも一緒に何かやろうと集まってみてもいいかなって」

「どんなバンドも、だんだんお互いに慣れあってきてしまうのよね。お互いの言うことに耳を貸さなくなったりとか」とコレッタ。「それがいい場合もあれば、悪い場合もある。私たちの場合は歳を取ってから、練習した後に一緒にコーヒーやランチをとりつつ、いろいろとオープンに話しているの。だから今も雰囲気はいい」

Jawboxは1989年、ワシントンDCでロビンスとコレッタにより結成された。最初のドラマーはアダム・ウェイド。彼らは1991年に『Grippe』でデビューを果たした。1992年にバーボットが加入し、セカンドアルバム『Novelty』をリリース。その後ウェイドの後任にバロカスが加入し、1993年アトランティックとメジャー契約を結んだ。誠実なインディーズレーベルDischordに背を向け、メジャーデビューしたのは彼らが最初だったため、インディーズ仲間から非難されたこともあった。

翌年には『Sweetheart』をリリース。このアルバムは、ゆったりしたジャズのノリと力強い正確なアタックの両方を操るバロカスの芸達者ぶりにより、『Novelty』時代の小気味よいスタッカートを昇華させ、新たな一面を切り開いた。バーボットの存在感がより前面に出るようになり、ロビンスとのツインヴォーカルでしなやかなハーモニーを奏で、ギターでもキレのあるリフと心地よいメロディを巧みに融合させた。コレッタならではの、力強くも精密で、目を見張るような速弾きベースが曲全体をまとめ上げていた。

バンドは精力的にツアーを行い、ストーン・テンプル・パイロッツといった90年代ツアーバンドのオープニング・アクトを務めた。以前よりも流れるようなメロディライン、それでいて激しいサウンドを凝縮し、ボーナストラックとしてトーリ・エイモスの「コーンフレーク・ガール」のカバーを収録した『Jawbox』は、1996年にアトランティックの子会社TAGよりリリースされた。だが、バンドはこの翌年に解散。「俺たちは名声を手にするチャンスを得た」。2018年、バーボットはNPRのインタビューでこう語った。「だけど、取り逃がしてしまったんだよ」

「90年代は、誰がインディーズで、誰が売れてて、誰が本物かという話で持ち切りだった。僕らはそういうのをうまいこと切り抜けてきた。自分たちにとって本当に重要なのは、自分たちの原点であるDIYの精神に忠実であることだったからね」とロビンスは当時を振り返る。「でも、僕らはメジャーに片足を突っ込んで、どちらの側とも上手くやっていこうとしたんだ。そのせいで、個人的にものすごくストレスを抱えてしまった。自分たちのやってることは正しいのかどうか、いつも気がかりだった。今振り返ってみれば、『まぁ基本的には間違ってなかった』って言えるけどね」

「バンドをやってるのは、ただひたすら楽しいことだけやるっていうんじゃダメなのかね?」と、彼は笑いながら付け加えた。



Translated by Akiko Kato

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