45年前に脱獄した殺人犯、その巧妙な手口と現在の行方

レスター・ユーバンクスは22歳当時、既に性犯罪の逮捕歴があった。同じくオハイオ州マンスフィールドに住んでいた14歳のメアリー・エレン・ディーナーを殺害。

1965年のマスフィールド・ニュースジャーナル紙の記事によれば、14歳のディーナーと12歳の妹ブレンダ・スーはその日の夜、地元のコインランドリーで家族の洗濯物を洗っていた。小銭が足りなくなったため、姉のメアリー・エレンは10セント硬貨と5セント硬貨を手に入れようと別のコインランドリーへ向かい、そこでユーバンクスと鉢合わせになった。ユーバンクスは彼女に性的暴行を加えようとし、2度発砲。さらにレンガで殴打した。彼女の死体はそのまま放置され、手のひらからは小銭がこぼれ落ちていた。のちに心神喪失を主張するものの、ユーバンクスは殺人を認め、刑務所に送られた。

殺人事件はディーナー一家に大きな傷を残した――聡明でおとなしい10代の娘の死を悼むのだから当然だ。報道によれば尼僧になるのが夢だったという。だがユーバンクスの逃亡のほうがはるかに恐ろしいものだった。メアリー・エレンの姉であるマートル・カーターは当時18歳、既に結婚していた。

彼女はローリングストーン誌の取材に対し、ユーバンクスの逃亡が家族に与えた代償をこう語った。「考えられる最も強い言葉で言うならば、私たちは心に傷を負わされたのです。私たちは、もう終わったと思っていました。それが突然、彼はまずクリスマスの買い物に出かけーーこのこと自体もショックですがーーそして脱走したのですから。母はすっかり気が動転していました」

脱走するまで、ユーバンクスは収容期間中ずっと模範囚で通っていた。例えば1972年、まだ死刑囚だった彼は、コロンバス・ディスパッチ紙の囚人アート特集で、大々的に取り上げられた。記事の中で彼は「死刑囚の中で最高の画家」だと称えられた。彼は三枚扉の祭壇の内側に、反体制活動家アンジェラ・デイヴィスの肖像を描いていた。ひとつは眼鏡をかけ、髪を後ろで束ねてすました姿、もう一つは特大アフロでモナリザのような微笑みをたたえた姿、そしてもう一つは、しかめっ面で物思いにふける姿。「彼女を尊敬し、敬愛しています」と彼は記者に述べ、独学で身に着けた画風についてくわしく説明した。

同年ユーバンクスは死刑から免罪。彼はコロンバスにあるグレートサザンショッピングセンターへクリスマスの買い物に行くという特権を手に入れた。囚人にある一定の信頼を与えることが彼らの更生を後押しするだろうと期待してのことだった。1973年のコロンバス・ディスパッチ紙の記事によると、10日間の間にユーバンクスを含む3人の受刑者が脱走したのをうけ、このプログラムは大幅に縮小された。

「この男がのこのこ立ち去ったという事実だけでも、お笑いぐさです」。サイラー保安官補は当時の非常識な状況を指摘した。有罪判決を受けた殺人犯が、ショッピングモールで休日のお買い物、それも付き添いなし。だが保安官補は、ユーバンクスがそもそも特権を認められたことに疑問を感じているーー脱走の機会を狙って、塀の外に出るために周到に計画していたのではと考えているのだ。

「彼は2~3年前から準備を進めていたはずです」と、サイラー保安官補はユーバンクスが刑務所で贔屓にされていた点について語った。「看守をうまく操り、刑務所内のシステムを利用して、自分を良い人間に見せかけたのです。そうやってまんまと塀の外に出た。ヤツはひたすら、そのために準備していたのです」

Translated by Akiko Kato

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