キング牧師記念日制定を祝い、スティーヴィー・ワンダーが歌った「ハッピー・バースデイ」を振り返る

ワンダーは自分の目指す目標に対して、現実的な意見を持っていた。「今年祝日の制定が実現しなければ、達成するまで来年も再来年もずっと続けていかなければならない」と、集会に先立って行われた記者会見で彼は語っている。事実、キング牧師の誕生日である1月15日を国民の祝日にしようとする活動は、果てしない道のりとなった。キング牧師の友人でもあったミシガン州選出のジョン・コニャーズ下院議員は、キング牧師の死の数日後、誕生日を祝日にする法案を初めて議会へ提出した。しかし、ジミー・カーターが大統領職を退く直前に法案を支持したものの、その後何年間も議会の賛同を得られなかった。

1981年、ニューヨーク州、オハイオ州、フロリダ州、ケンタッキー州を含む12の州がキング牧師の誕生日を州の祝日とした。しかし共和党は依然として強固に反対し、共和党上院議員のジョン・マケイン、オリン・ハッチ、チャック・グラスリーは皆、反対票を投じた。さらにノースカロライナ州選出の強硬派として知られるジェシー・ヘルムズ上院議員は、「キング牧師は米国に対する敵対心や憎悪を具現化した」と主張して1983年の議事進行を妨害した。そのほかレーガン大統領は、祝日の導入により1億8500万ドル(約202億4400万円)の賃金が失われる、と主張。またコニャーズ議員は「祝日1日分のコストを本気で測ろうとしているなんて、キング牧師の価値を理解していない」と反論した。

1983年、議会で祝日制定の必要性を訴えたワンダーは、さらに声を強めた。同年秋にニューヨークで行ったコンサートで彼は、祝日制定に反対する人々を非難し、「1月15日を祝おう。皆で盛り上がろう」と呼びかけた。同年11月、ついに法案が上下両院を通過し、レーガン大統領が法案に署名。1986年1月、初めて公式にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの日が祝われた。

An All-Star Celebrationコンサートは、アフリカ系アメリカ人を記念する初の国民の祝日という重大な日に行われた。ワンダーをはじめ、彼に関連する組織のワンダー・プロダクションズとワンダー・ファウンデーションがスペシャル番組を仕切ったが、結局膨大なタスクになった。同日夜、キング牧師を称えるコンサートがワシントン、ニューヨーク、アトランタの3か所で同時に行われたが、最後のコンサートが終了したのは午後8時。テレビのスペシャル番組の放映がスタートする午後9時に間に合わせるため、プロデューサーのマーティ・パセッタと各地の500人のクルーたちは、驚くべき早技で編集作業を行った。まだデジタル化される前の話だ。しかしワンダーにとって、ストレスのかかる仕事もやりがいのあるものだった。「僕には、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの誕生日を国民の祝日にしたいというビジョンがあった」とワンダーは後に、ローリングストーン誌に語っている。「夢に見てイメージした。そして想像し、見て、信じたことを書いた。実現するまでは自分の心の中にしまっておいたのさ。」




Translated by Smokva Tokyo

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