福山雅治、歌のパワーの源流にある「死や別れのリアル」

弾き語りの前に、『魂のラジオ』や『地底人ラジオ』などでおなじみのフリーアナウンサー・荘口彰久が、ファンから寄せられた曲にまつわるエピソードを紹介し、福山が曲を歌うというスタイルで進行した。ちなみに、ファンから寄せられたリクエスト&エピソードは3000を超えたそうである。そんなエピソードと共に弾き語られたのは「はつ恋」「Squall」「Beautiful life」「最愛」「誕生日には真白な百合を」「家族になろうよ」。歌もギターも素晴らしかった。

福山が敬愛するSIONに以前インタビューした際に「福山は、顔はいいし、歌は上手いし、ギターも上手い。どこか欠点はないもんじゃろうか? 困ったもんだ」とうれしそうに笑っていたことを思い出した。マスコミは福山のルックスを持ち上げるが、あれだけの数のヒット曲の作詞・作曲を手掛け、ギタリストとしても素晴らしい、彼のミュージシャンシップ、プレイヤーシップをルックスにだけ注目し過ぎて見落としてはいけない。

そして、ファンの曲にまつわるエピソードがとても素敵だった。福山自身もMCで「一人一人の人生の中に、音楽という形で寄り添わせていただけることを大変光栄に思います」と言っていたが、福山の歌が、オーディエンス一人一人の人生に寄り添っているのがわかった。実際、筆者も歌を聴きながら“この歌詞、俺の親への気持ちそのままだ”などと思う瞬間が何度もあった。それがとても不思議だった。少し意地悪な書き方をすれば、福山のようなスターが、庶民の気持ちを歌えるのが不思議だった。しかも、歌詞というものはしょせんは最大公約数的なもので、共感はすることがあっても、人の人生に入り込むのは難しい。なのに、福山の歌は、リスナーの人生に入り込み、寄り添っている。その理由の一つがライブの後半に行く前に映しだされた映像によってわかった気がした。

「家族になろうよ」の演奏の後、7分ほどの映像が流れた。それは福山が15歳でアルバイトで稼いだお金でギターを買った時から、50歳までの音楽人生を写真で振り返る内容だった。その映像の中で、福山のかつてのインタビュー音声が流れた。「死を意識することで、何かを生み出している」と。その言葉を聞いてハッとした。

生きることは全然平等じゃない。でも、死は平等だ。どんな人には死は訪れる。そして、誰にとっても、大切な人の死は心が張り裂けるほどつらい。そんな死を頭の片隅に置きながら、私たちは日常を進まないといけない。つまり、「幸せ」は空想・理想の類だが、「死」は現実の生活の中にいつも横たわるリアルだ。

そんなリアルを超えていくパワーを福山の歌は与えてくれる。ただし、それは決して能天気なパワーではない。福山の歌のパワーはどこかに死の悲しみが漂う、でも温かいパワーだ。若い時に父親を亡くしている福山には、死はリアルであり、死や別れを常に抱えながら生きて行かなければいけない、そんな人間の宿命が痛いほどわかるのかもしれない。
だから、バラッドでも、ポップチューンでも、福山の歌は死や別れのリアルが漂うから、多くの人の生活・人生に寄り添えるのかもしれない。

福山という平成を代表するスターが歌う歌は、スターが故に、ファンタジー、絵空事のようなイメージを持つ人がいるかもしれないが、福山の歌は、死、生活というリアルを謳っている。そう思うと、サウンドアプローチは違うが日本のブルースなのかもとさえ思えてしまう。いずれにしても、リアルだから、リアルな生活の場所で響く。

Tag:

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE