マイケル・ジャクソンを告発した2人と監督が語る、この映画を作った理由

映画の中でとくに驚愕だったのは、ジャクソンが性的に虐待しただけでなく、あなたたち2人をそそのかして自分を愛するように仕向けた、と語る場面です。

セーフチャック:そう、そうなんだよ、性的虐待の被害者はこういう体験をしているんだ。この手の性的虐待に共通している点だと思う。相反する感情が起きるんだよ。ある意味、それがこの問題の難しいところだ。自分は彼を愛しているのに、彼は自分を傷つける。それがどうしてなのか理解できない。いい人だと思っていたのに、どうしてこんな悪いことをするんだろう? そういう愛情は後々まで引きずるんだ。残りの人生ずっとついて回る。どうやって折り合いをつければいいんだろう? 経験したことがない人には理解しがたいと思う。でも、こういう愛情が子どもの性的虐待にはつきものなんだ。他の人も同じだと思うよ。

お二人とも現在30代ですが、頭の片隅にはそうした愛情が今でも何らかの形で残っていますか? それとも、彼にされたこととは切り離せるようになりましたか?

ロブソン:今でも葛藤している。愛情と虐待――あるいは、“愛情のようなもの”と虐待、というべきかな――この2つは複雑に絡み合っているんだ。僕にとっては、本当の愛だった。多分マイケルも、彼にとってはあれが本当の愛だったんだろう。でも明らかに、彼の愛はひねくれて、ゆがんでいた。いまも2つの感情を引き離そうとしているところだ。いろんなことを試して、なんとか自分の人生と折り合いをつけられたけど、今でもふとよみがえることがある。

今も訳が分からなくて、どう気持ちの整理をつけていいかわからないのは、あれだけ強い愛があれだけ長い間続いたということ。エステートやジャクソン家、怒れるMJのファンからさんざん批判されたのも、この点だ。「おい、そいつは筋が通らないぞ」って。たしかに僕は、裁判でもインタビューでもたびたび彼をサポートし、弁護してきた。真実を暴露するまで、かなり長いことインタビューで彼をほめちぎってきた。それが今回の出来事のポイントだ。性的虐待では多くの場合、こういう心理状況に陥るんだよ。だからこそ僕はみんなに言いたいんだ。関心を持ってくれる人も、戸惑っている人も、全く理解できないという人も、まずは映画を見てほしい。僕らはこの映画の中で、まさにこうした問題の複雑さを語っているんだ。

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マイケル・ジャクソンとウェイド・ロブソン(1987)(Credit: Dan Reed/HBO)

ウェイドはサンダンスでこう言っていましたね。「願わくば、この映画がほかの性的虐待の経験者を勇気づけ、彼らの体験を正当化し、世間の認知向上につなげてほしい」 今になってお二人が名乗り出たのも、それが主な理由ですか?

セーフチャック:映画の目的はそうだけど、名乗り出た理由ではないよ。映画で僕が呼びかけたかったのは、性的虐待の被害者。それが僕の目的だった。ウェイドが名乗り出たときに僕も、自分は一人じゃないんだと感じられた。だから他の人々にも、一人じゃないよと伝えたいんだ。

Translated by Akiko Kato

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