追悼ルーク・ペリー『ビバリーヒルズ高校白書』92年の出演者インタビューを回想

こうした状況の末期症状によく見られるように、エマーソンは夏の間中ずっと救済措置を期待した。でもうなぎのぼりの視聴率を誇るビバヒルは俳優に猶予なんてくれない。ましてや、銃で遊ぶようなイメージが定着したキャラクターを再度起用することはない。「あのエピソードのおかげで何人かの命が救われていたらいいな」とプリーストリーは言った。「だって銃が人を殺すわけじゃないから」。その通り。殺すのはプロデューサーだ。

「その頃にはドラマも注目されてるだろう、という確信があったから、このエピソードを3月に計画した」とロージン氏は言った。「自殺でも病気でもなく事故にしたかった。ピストル事故が一番しっくりきたんだ」

スペリング氏曰く、ぞっとするような広告キャンペーンの責任はFOXテレビにあったそうだ。「今夜、彼らは仲間のひとりを失う」というキャッチコピーとともにレギュラーキャストたちの写真が張り出された。そこにはエマーソンの姿もあった。

生と死というテーマの成功にも関わらず、ビバヒルが取り扱わないテーマもいくつかあった。たとえば、カリフォルニア州の公立学校の残念な実情にまつわるエピソードは存在しない。「娯楽メディアだから」とロージン氏は言った。「最終的な目標は視聴者を楽しませることだ。ビバリーヒルズ高校で教員のストライキに関するエピソードを放送したりはしない」

「私たちの願いは、まずは娯楽としてある程度のインパクトを与えること。そしてそれが終わったら、内容ついて視聴者に考えてもらうこと。考える時間はそうだな、5秒くらいかな。この5秒が私たちのゴールなんだ。実際、私たちの番組のインパクトは5秒より少し長いみたいだ」

「番組に対する主な反応はドラマのリアルさだった」とデビッド・シルバー役のブライアン・オースティン・グリーンは語った。「人々はストーリー展開がものすごくリアルだと思っているの」とドナ役のトリ・スペリングも言った。廊下にDJブースがある高校、BMWを運転し、デザイナーブランドの服に身を包む若者、ジェイソン・プリーストリーやシャナン・ドハーティーのようなルックスの高校生……果たしてこれがリアリズムなのだろうか? しかし、テレビにおけるリアリティとは相対概念に過ぎない。アーロン・スペリング氏が言ったように「失敗に終わったデート、あるいはデートのない毎日、どちらも悲劇だ」

「若者たちにとってはすべてが生と死の問題なんだ」とペリーは言った。それは親たちにはわからない。神経質すぎるからじゃない。裕福すぎるからだ。アメリカ中西部の出身でもない限り、自分の家族は電子レンジに入れたプードルみたいに爆発する運命だと思うようになる。ビバヒルに登場するほとんどの家族には、機能していない家族の一員がいた。コカイン中毒やイカれた(ケリーとディランの)母親、ものすごく怖くて子どもを骨抜きにしようとする(スコットの)母親、自己中心的で愛することができない(スティーブの)母親、さらには不在、あるいは法から逃れようとする(ディラン、ケリー、スティーブの)父親などだ。

作中でティーンを善の中心に据えたことで——ママやパパの小言で埋め尽くされるのを待っている真っ白な紙ではなく——ビバヒルはファンから熱烈な支持を得る結果となった。もちろん、スター俳優たちが美男美女で、いい服を着て、イケてる車を運転してビバリーヒルズに住んでいるのはマイナスにはならない。

「イメージと精神生活の問題なんだ。ドラマとコメディは必ず両方のギャップを扱っている」とロージン氏は言った。「ビバリーヒルズはあまりにイメージを重視する街だ。できることなら、ステレオタイプを推奨するのではなく、打ちこわしたいと思った」

そうした試みは髪の色においても功を呈してきた。「あるレセプショニストに言われたの『あなたはブルネットの女性にとってすばらしいことをしてくれた。意中の男性をゲットして、いい人生を送って、一番の美人だって言われるのはいつもブロンドだから。あなたはそれを覆してくれたの』って」シャナン・ドハーティーは言った。

Translated by Shoko Natori

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