追悼ルーク・ペリー『ビバリーヒルズ高校白書』92年の出演者インタビューを回想

あらゆる欠点がかすんでしまうほど美しいブルネットのドハーティーは、ビバリーウィルシャーホテルのティールームでコーラを飲んでいた。ぴったりとした黒いボディースーツにスキニーデニムという格好はブレンダに似つかわしくない。「ブレンダよりも体型を重視した服を着るの」とドハーティーは言った。「ブレンダなら、体型を隠すためにこのボディースーツのうえからワンピースを着るでしょうね。ブレンダはどちらかと言うと、アップルパイみたいにキュートなご近所の女の子だから。アメリカの恋人ね。(以前にドハーティーが出演し、最も記憶に残っている映画『ヘザース/ベロニカの熱い日』で演じた高校生ビッチのリーダーとはかけ離れている)」

リアルなブルネット像を打ち立てただけでなく、当時20歳だったドハーティーはアメリカの恋人であることの責任を非常に重く受け止めていた。ドハーティーはこう言った。「あるエピソードで、制作側がブレンダをダイエットさせようとしたの。3、4キロだったかしら。私はわりと痩せてるけど、過食症や拒食症のような大きな問題を抱えていたから、私を観た女の子たちが間違った方向に解釈したらまずいと思った。チャック(チャールズの愛称)・ロージンに相談したら、ダイエットの件はなくなったわ」

ドハーティーが再びコーラを口にすると、ペア型のダイヤモンドの指輪が左手で輝いた。クリス・フーファス(結婚しても苗字は変えていない)という名前のビジネスマンの婚約者からの贈り物だ。「婚約者がEnquirer誌のページを開いて言ったの。『なんだよ! 6カラット半のダイヤの指輪をプレゼントしたのに、記事には3カラットって書いてあるじゃないか!』って。だからマネージャーのマイク(ガーシー)に電話して『お詫びと訂正の文章を入れさせて。私の指輪は3カラットじゃないのよ』って電話の向こうで大騒ぎしてたら、マイクが爆笑しだしたの」

ダイヤの大きさはさておき、ドハーティーは「とんでもないビッチ」というイメージを払拭したいと思っていた。それ以外にも「甘やかされたクソガキ」や、ある時はシンプルに「気難し屋」と言われ続けてきた(ビバヒルのプレスリリースはドハーティーに対して「努力家で強い意志の持ち主」と角の立たない表現を使っている)。

「自分の主張を通そうとする強い女性が『気難し屋』なら、それでもいい」とドハーティーは言った。「私は色々なアイデアに対してオープンなの。でも私を的に回して、私の話に耳を傾けないで、男性と同じくらいの敬意を持って接してくれないなら、私は一筋縄にはいかないわよ」

ドハーティーは南カリフォルニア育ちだ。プリーストリー同様、彼女も初めてオーディションを受ける際に両親を説得しなければならなかった。初めてテレビに出演したのは『Father Murphy』2部作で、11歳の頃に『大草原の小さな家』で主役を務めた。『大草原の小さな家』の共演者マイケル・ランドンからファイティングスピリットを学んだそうだ。「ランドンはこう言ったの『本能に従い、誰にも踏みつけられるな。必ず自分の信念を貫け』って」

「シャナン(ドハーティー)はプロなんだ」とロージン氏は言った。「10歳から演技をしている。誰だって自分の人生のどこかで怒りを感じる時期はある」ドハーティーや共演者たちと私たちの違いは、彼らがそれをセットで経験していたことだ。

1991年を通し、出演者にとっては荒れ果てたセットが家だった。魅力に欠けるサンフェルナンド・バレーの崩れ落ちそうな学生寮と老朽化した飛行機の格納庫を行ったり来たりしたビバヒルのクールな登場人物たちにとってはそんな場所を家と呼ぶくらいなら、死んだほうがマシだっただろう。たかがテレビ——クルーのひとりが番組の仕事に対する取り組み方をまとめたバッジを身につけている。裏口から出演者がメイク室になっているトレーラーに向かう時、彼らは洗濯機が販売されている薄汚い路地を通らなければならなかった。

「お金をもらって仕事をしてる気がしない」。プリーストリーは言った。「だって仕事が楽しいから。お金をもらうのはスタンバイのためだ」撮影の合間の長いスタンバイ期間中、俳優たちはタバコを吸ったり、ふざけあったり、箱ほどの大きさしかない小さな楽屋で音楽を大音量で流したりした。すごく親しくなったり、ものすごくイライラしたりするには十分な時間があった。「みんなが仲良しだった、なんて嘘をつくつもりはないわ」とドハーティーは言った。「口論もするけど、最終的には仲直りをした。きょうだいみたいな関係ね」

Translated by Shoko Natori

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