ソランジュ、話題のニューアルバム『When I Get Home』を若林恵と柳樂光隆が考察

ソランジュが「ジャズ」を核と語った理由
柳樂光隆

ソランジュの前作『A Seat at the Table』は、豊作だった2016年においても特別なものだった。引き算的なリズムへのアプローチ、ミニー・リパートンなどを想起させる歌唱法の面白さ。アメリカのソウルミュージック(の前後に連なっている歴史)に対する憧れとリスペクトを感じさせつつ、それをとてもフレッシュに聴かせる手腕。「古いのに新しい」みたいなミラクルを、ここまで感じさせるアルバムも珍しいと思う。

それから3年。突如リリースされた『When I Get Home』は、あの前作をも超える素晴らしいアルバムだ。

まず目を惹くのは、クレジットに並んだ豪華な顔ぶれだろうか。アール・スウェットシャツ、ファレル・ウィリアムス、タイラー・ザ・クリエイター、プレイボーイ・カルティ、グッチ・メイン、メトロ・ブーミンといったUSヒップホップ/R&Bの顔役から、彼女の過去作にも貢献してきたサンファやデヴ・ハインズ(ブラッド・オレンジ)、各方面に引っ張りだこのスティーヴ・レイシー(ジ・インターネット)、パンダ・ベアなどインディー寄りの人脈までズラリと並んでいる。これだけのメンツが集まっていること自体、作品の重要度を物語っていると言えそうだ。

しかし、このアルバムではそういった面々もあくまで「パーツ」として機能しており、ことさらに強調されることはない。あくまでソランジュ自身の世界観や美意識が貫かれているのが『When I Get Home』の凄まじさだと思う。ここでは、その徹底的にデザインされたアルバムの魅力を検証してみたい。

まず、ソランジュのボーカルが前作同様に素晴らしい。彼女は歌の中にダイナミックな変化を全くつけないままで、一見、感情は抑え気味なのに、その音楽にふさわしいエモーションは確実に宿らせることができる。ミニー・リパートン的なキュートさを放ちつつ、その声が持つ感情はダークに反転させたかのような、どこかグレーな色合いのハイトーンを披露したりと、あらゆる面で「声」をコントロールしているように映る。たっぷりと空気を含ませた柔らかい歌声は、その慎ましい響きに特別なエレガンスすら覚えるほどだ。





『When I Get Home』を聴いて最初に感じたのは、その声の使い方が前作とはまったく違うことだった。収録された曲自体はメロディアスでフレンドリーなのだが、そのメロディーには強いフックがあるわけではない(むしろ弱く聴こえる部分さえある)。なんだかまるで、コーラスだけで作られたメインボーカル不在のアルバムみたいだとも思う。

見方を変えれば、『When I Get Home』においてソランジュの声は、「歌」としてだけでなく「サウンド」としても機能している。このアルバムの楽曲は、彼女の慎ましいボーカルを明らかに望んでいるのだ。この辺りに関して、僕は晩年のプリンスにも愛されたコーラス・グループのキングや、フューチャーソウル系のムーンチャイルドといったLAの音楽家たちを想起したりもした。



多くのゲストが参加しているにも関わらず、アルバム中で聴こえてくる歌声の大半はソランジュ自身のもの。彼女はひとつかふたつくらいのセンテンスをひたすら繰り返す、極めてミニマムな曲をみずから作曲もしている。そして、独特の情感を湛えたボーカルが反復されることで、その声はやがて耳に深く馴染んでいき、ある種のグルーヴ感を伴いながら、聴き手の身体と脳内にどんどん沁み込んでいく。特殊な声の使い方によって得られるフィーリングと、徹底してミニマルな楽曲が合わさることで、アルバム全体に不思議なトランス感がもたらされているわけだ。

Pitchforkに掲載された本人の発言によると、この新作に影響を与えた音楽家のひとりがミニマルミュージックの巨匠、スティーヴ・ライヒなのだという。それを知って僕が思い浮かべたのは、ライヒが2008年に発表したアルバム『Daniel Variations』だ。

ユダヤ系アメリカ人記者のダニエル・パールは、2002年にパキスタンを取材中、イスラム原理派のテロリストに捕まり殺害されてしまう。そんな彼の遺言を歌詞に用いた同作で、ライヒは短いセンテンスを声楽グループに繰り返させ、それを重ねたりずらしたりして意識を引きつけることで、作品に込められたメッセージの入り口へと聴き手を導いている。

そんなライヒの音楽は、『When I Get Home』の冒頭を飾る「Things I Imagined」で、同じフレーズを繰り返すソランジュの歌にも重ねられるだろう。反復される様々なパーツによって作られた楽曲と、そんな楽曲が連なっているアルバムは、目を閉じながらヘッドフォンで聴いていると、ラーガに基づいた長尺のインド音楽に浸っているような感覚さえ湧いてきそうだ。ひたすら反復し、ときおり重なり合うボーカルは、ゴスペルにおけるコール&レスポンスをひとりで行っているようでもあり、「チルアウト」という表現では物足りない瞑想的でスピリチュアルな聴覚体験にも思えてくる。


RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE