ブライアン・メイ、ロックの殿堂任命式でデフ・レパードへ感動的なスピーチを披露

ここで1983年まで一気に飛ぶ。さて、みんな、ツアー中がどんな生活か知っているよね。ツアーに出て、車や飛行機で移動している最中、誰かが自分のレコードを流していないかと思ってボタンを押す(ラジオ局を探す)。まあ、私がよくやっていたのがそれで、ボタンを押すたびに聞こえてくるのが、高音のアルペジオっぽいギター、素晴らしいハーモニーと大きくて興味をそそるベースライン、分厚いドラム。それはクイーンの曲ではなくて、青年たちが組んでいる早熟のバンド、デフ・レパードの曲「フォトグラフ」だった。これは驚くほど素晴らしい曲で、この曲で彼らの人気が急上昇した。あの頃、ラジオをつけるといつもこの曲が流れてきた。そしてクイーンのアルバムが完成する前に、彼らのアルバム『ヒステリア』がリリースされて、1000万枚を売り上げたのである。

じゃあ、ここで83年9月まで一気にワープするよ。そのとき、私はロサンゼルスにいた。このときもレコーディングで、確か『ザ・ワークス』の制作中だったと思う。このときも作業中に外出して、今回は地元のアリーナ、つまり伝説のザ・フォーラムでプレイするデフ・レパードを観に行った。目立たないように会場に入り、後方の席に座った。彼らがステージに登場したとき――これは嘘でも大げさでもなく、あんなライブは一度も見たことがない。ザ・フォーラムで素晴らしいライブを何度か観たことがあるが、あれほどまでの観客の熱狂ぶりは未だかつて見たことがない。観客は立ち上がり、一度も着席しない。演奏中、最初から最後まで叫んだり、吠えたりして歓声を上げ続けている。あの夜、デフ・レパードはすべてを圧倒した。終演後、メンバーに会いにバックステージに行ったら、楽屋に招待された。クイーンが始めてアメリカでライブを行ったときと同様に、彼らも両親を招いていて、そこには自分の息子が自慢気な親御さんたちがいた。私を親御さんたちに紹介したあと、彼らは「明日の夜、一緒にプレイしないか?」と言ってきた。私はイエスと答え、あとは知っての通り。「トラヴェリン・バンド」を演奏した。この共演が記憶に残る出来事となった理由は、このときの私はキャリアも命も失う寸前だったこと、これは『炎のターゲット』で、ステージのプロダクションにあらゆる種類の炎が仕掛けが設置されていたことだ。ジョーは私に警告していた。「最後の花火に気をつけて。とにかく注意してくれ」と言って。しかし、「トラヴェリン・バンド」の最後で私たちはドラムセットの後方に移動していた。足元には小さな裂け目があって、火が吹き出す直前だった。私にはそれが何かわからず、歩を進め、そこで最高の演奏を見せようとした。そしたら、ジョーの「ブライアン! ブライアン!」と呼ぶ声が聞こえてきた。彼が演奏を褒めてくれているのだと思っていたら、ジョーが「ブライアン、ブライアン、火だ!」と叫ぶのが聞こえた。そのとき、大きな火柱が私の目の前に現れ、すんでのところでジョーが私の身体を引っ張ってくれたのだ。あのとき彼が引っ張らなかったら、私は今夜ここにいなかっただろう。つまり、デフ・レパードは若い頃に私の命を救ってくれたのだ。

デフ・レパードの歴史は非常にカラフルで、あらゆることが詰まっていて、ここでは紹介しきれない。そんなに時間がないからね。デフ・レパードが始まったのは1977年8月、イギリスのシェフィールドで。ここは素敵な場所とは呼び難いし、ここを出たいと望む人たちが大勢いる町でもある。彼らは11枚の素晴らしいアルバムを作り、何度も何度も世界中を回って最高のライブを見せてきた。彼らのやり方は伝統的ロックバンドのやり方だ。とにかく演奏あるのみ。来る日も来る日も演奏を続け、スタジオでは最高の音楽を作った。そして、最終的に1億枚以上のアルバムを売った。人気のある時期も人気のない時期も持ち堪えた。これはありがちなことで、特にイギリスのようにメディアが冷たい国ではよく起きていた。私にはその風潮の原因が分からないが、ヒット・レコードを作るとなぜか攻撃されてしまうのだ。ここで、彼らが生んだヒット曲をいくつか紹介してもいいかな? まずは「ブリンギン・オン・ザ・ハートブレイク」、「フォトグラフ、「フーリン」、「シュガー・オン・ミー」、「アーマゲドン」、「ラヴ・バイツ」、「ロック・オブ・エイジ」、「ロケット」などなど。まだまだヒット曲はたくさんある。彼らはシングル50枚をリリースし、そのほとんどがヒットし、多くがナンバー1になった。そのせいか、メディアには、特にイギリスのメディアがそうだが、彼らをダサいバンドに見せいたという空気が漂っていた。でも、真実は違う。彼らが作ったヒット曲はすべて、人々が一緒に口ずさんだり、記憶し続けることのできる本物の歌で、だからこそデフ・レパードは未来永劫、私たちが地球からいなくなっても、人々の心と頭の中に記憶されるバンドになるはずだ。

Translated by Miki Nakayama

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