ボブ・ディランの孫・パブロがフォークシンガーへ転身 その野望を語る

ーあなた自身がラップする曲を公開するようになってから、世間からの中傷は激化しました。そのことには傷つきましたか?

当時はね。でも最近じゃ笑い飛ばしてるよ、そういう奴らのことが愛おしく思えるくらいさ。僕は自分の深い部分にあるものを音楽として表現してるし、中傷なんかいちいち気にしていられない。音楽は僕の魂の声であり、身体中を流れる血に宿っているんだ。音楽をやることは自分の使命だと思ってる。誹謗中傷を浴びせられた経験も含めて、僕はトップに立ちたいと思うようになった。そのためには血の滲むような努力をしないといけない。僕がプロデュース業について学ぶことにしたのは、世間からアーティストとして見られることなくスキルを培うためだったんだ。

ーあなたが大学に行かないことに、家族は反対しましたか?

家族は僕のやりたいことに理解を示してくれた。大学に行きたくないっていう僕の意思を汲んでくれたんだ。でも高校は卒業したよ。高校中退だけは認めないって、家族からも言われてたからね。高校で自分が何をしてたのかは、はっきり言ってほとんど覚えてないんだ。当時の知り合いで、今でも連絡を取り合ってるやつは1人もいないし。とにかく自分に縁のない場所だった。唯一印象に残ってるのは、ホメロスのことを教えてくれた英語の先生だね。とにかく夢中になったし、それは今も変わってない。ホメロスは僕にとって指標みたいなものなんだ。

ーホメロスとは随分古典的ですね。

そうだよね。今の世の中は過去の偉人たちが作り上げた土台の上に立ってるんだってことを、人は時に忘れてしまいがちだと思う。アレクサンドロス3世はアキレスに憧れ、実際にアキレスに極めて近い存在になり、若くしてこの世を去った。リンカーンはシェイクスピアから多くを学んでいるし、ジョン・ウィルクス・ブースもそうだ。

ー再び自身の名前で曲を発表するようになった理由は?

僕は数多くの才能ある人々と仕事をする機会に恵まれたけど、プロデューサーっていう職業はレコード会社との退屈なやりとりも多いんだ。レーベルは曲を自作しないアーティストと契約を交わしておきながら、彼らをどう売り出すべきか把握していない。トップの人間たちが重要視するのは、売れそうな曲を確保できる人間をそばに置くことだ。でも優れた曲を書きたいだけの僕にとって、そういう役回りは結構しんどいんだよ。そのうちにだんだん嫌気がさしてきたんだ。

そんな頃にトランプが大統領になって、誰もがどうかしちゃったんじゃないかと思えるような世の中になった。僕の周囲の共和党支持者は民主党を支持する人々のことをまるで理解できなかったし、その逆もまた然りだった。そんな状況下で、人々の心をひとつにするような何かが求められているような気がしたんだ。それで僕はギターを手に取って、自分が本当に書きたい曲を書くことにしたんだよ。

ビートルズのハンブルクでの武者修行時代のことや、ロバート・ジョンソンが墓地でギターのテクニックを磨いたっていうエピソードに感化されたっていうのものあるよ。自分もそういう経験をすべきだと思って、出演させてもらえそうな場所を手当たり次第にあたっていった。ギターを片手に小さなバーに飛び込んで、「演奏させてくれないかな?」って頼むんだ。オーケーしてくれるところもあれば、門前払いされることもあった。そういう時は店の外で演奏してたよ。

Translated by Masaaki Yoshida

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