ブルース・スプリングスティーンの名曲「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」に隠された誕生秘話

翌月、家に戻ったスプリングスティーンが『ネブラスカ』に収録されることになる曲を作り始めた時、彼は「ベトナム」というタイトルの曲にも取りかかっていた。おそらくそれは、ジミー・クリフによる同名のプロテスト・クラシックからインスピレーションを受けたものと思われる。どこに行っても「ベトナムで死んだ」と言われる帰還兵の話をもとに、スプリングスティーンはラジカセでいくつかデモを録っていた。

歌詞の一部は(シングル「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」の)B面「シャット・アウト・ザ・ライト」にも再び使われているが、Aメロは、工場長が自分が決められるのであれば君を雇ってあげたいのだけどね、と言っているのが見事に問題が要約された形で歌われている。帰還兵のガールフレンドがロックンロールシンガーと逃げたと繰り返される歌詞(帰還兵の罪悪感を暗示?)もあり、またスプリングスティーンが「よそ者(the stranger)は俺だ」と歌うのは、彼が拠り所の1つとしていたスタンレー・ブラザーズの「ランク・ストレンジャー」に言及している。




ニュージャージー州コルツネックにある、彼の自宅のオーク製の机の上には、映画監督のポール・シュレイダーから送られてきた『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』の脚本が置かれていた。スプリングスティーンは「ベトナム」を作ってまもなく、その映画のタイトルを使った曲を書き始めた。最初のサビでは「born in the U.S.A.」と韻を踏ませるために「the American way(アメリカのやり方)」と皮肉を込めて称賛するような歌詞を書いたがすぐボツになった。彼がその頃に読んだアメリカの歴史書には1979年の『Sideshow: Kissinger, Nixon and the Destruction of Cambodia(邦題:キッシンジャーの犯罪)』も含まれるが(フランク・ステファンコが1982年にスプリングスティーンの家を撮影した写真にこの本が写り込んでいる)、この新しい曲の歌詞の下書きは、その一冊から彼が学んだことに対する個人的な感情のはけ口のように見えた。ニクソン大統領が1日も刑務所に行くことがなかったことに違和感を覚えたスプリングスティーンは代わりの罰を提案して「あいつのタマを取るべきだった」と(本当に)歌っている。

疑いを持つ人がいるかも知れないので言っておくと、曲の最終版で歌われている「黄色人種」と戦うために送られたという内容の歌詞には人種差別に反対する意図があったこともこの下書きからはっきりと読み取ることができる。カンボジア人がどんな気持ちか、「雨のように降る」爆弾の恐怖を目の当たりにするのはどんな気持ちか想像しながら「彼らは白人をそんなふうに扱わない」と彼は歌う。別の下書きからはスプリングスティーンの内容を要約し言葉をまとめ上げるスキルがいかに高くなったかをうかがい知ることができ、精錬所や汚染された町の描写など最終版でははっきりと語られない部分について多くのことを知ることができる。

スプリングスティーンは「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」を『ネブラスカ』の曲と一緒に彼の4トラック・レコーダーで録音し、カセットテープをマネージャー/共同プロデューサーのジョン・ランドーに送った。メロディにまとまりがなくエコーがかった宅録音源は曲が持ちうるインパクトを鈍らせており、『ネブラスカ』にあった“ローファイの魔法”はこの曲にはかからなかった。最後の40秒にスプリングスティーンがオーバーダブした、一聴すると捉えにくいかもしれないエレキギターがメインリフの上にうっすらと入り、アウトロのファルセットの叫び声は派手なノイズを予感させる。


Translated by Takayuki Matsumoto

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