ボブ・ディラン『ナッシュヴィル・スカイライン』知られざる10の事実

5. ディランが使っていたナッシュヴィルのスタジオでは、偶然にもジョニー・キャッシュもレコーディングを進めていた。2人はそこで18曲を共にレコーディングしている。

ディランが「今宵は君と」と「ナッシュヴィル・スカイライン・ラグ」をレコーディングしていた日、カントリー界のスーパースターは様子を見にやってきた。その翌日に彼らがディナーに出かけている間に、ジョンストンは2人が共にレコーディングできるよう準備を進めていた。「彼らが出かけている間に、僕は照明を使ってスタジオをナイトクラブみたいにしたんだ」ジョンストンはそう語っている。「マイクをあちこちに立てて、ギターも所狭しと並べてね」

2人は18曲を共にレコーディングしたが、そのうち正式に発表されたのは、『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』収録曲をカントリー調にアレンジした「北国の少女」のみだった。「『俺の銃を見ろよ』って言ったキャッシュに対して、ディランは『自分ので事足りてるさ』って返してた。あの奇妙なやり取りは一生忘れないよ」ジョンストンはそう振り返る。同セッションの音源はブートレグとして広く出回っている。



6. 『ナッシュヴィル・スカイライン』はカントリー・ロックを世に広めた

『ナッシュヴィル・スカイライン』がカントリーチャートにランクインすることはなかったが、同作はビルボード200で最高3位を記録し、カントリーの魅力をメインストリームのリスナーに伝えてみせた。カントリーとポップのクロスオーバーの先駆けとなった同作がなければ、イーグルスをはじめとする70年代前半のカントリーロック界のスーパースターたちは生まれなかっただろう。

「僕らの世代のアーティストはみな、彼の恩恵に預かってる。『ブロンド・オン・ブロンド』と『ナッシュヴィル・スカイライン』によって、ナッシュヴィルは俄然注目を集めたからね」クリストファーソンはそう語る。「すごく保守的で閉ざされていたカントリーの世界に、彼は大勢のオーディエンスを呼び込んでみせた。カントリーに対するイメージは一変し、グランド・オール・オプリの出演者さえも様変わりしたんだ」

7. 1968年の感謝祭の日に、ディランはジョージ・ハリスンに「アイ・スリュー・イット・オール・アウェイ」を聞かせた

ハリスンが当時の妻だったパティ・ボイドと共に、ウッドストックにあるディランの自宅で休暇を過ごしていた時、彼は罪の意識に満ちた同曲を2人の前で歌ったという。衝撃を受けたハリスンは、1969年1月に行われた『レット・イット・ビー』のセッションで、ビートルズのメンバーたちと共に同曲をカバーしている。

「かつて俺はそびえる山々を手にしてた / そこを絶え間なく流れる川も」といった歌詞に象徴されるように、「アイ・スリュー・イット・オール・アウェイ」はディティールと想像力に満ちている。アルバム収録曲の多くがピュアで音数を抑えているのに対し、「アイ・スリュー・イット・オール・アウェイ」はより従来のディランの作風に近いと言える。「『ナッシュヴィル・スカイライン』で重要なことは、行間を読むことだ」彼は1978年にジョナサン・コットにそう語っている。「俺は自分がいるべき場所に自分を導こうともがいていた。でも俺はどこにも辿り着けず、ただ道を転がり落ちていった。俺は自分自身にしかなれないってことを当時は知らなかったし、知りたくなかったんだ」

Translated by Masaaki Yoshida

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