ボズ・スキャッグスが語るAOR黄金期、ブルースの再発見「ヨットロックは大嫌いだ」

―『シルク・ディグリーズ』や『ミドル・マン』系譜のポップアルバムをまた作る気はありませんか?

ああ、あるよ。時々考えるもの。私はいろいろなサウンドを演奏したいし、さまざまなテクスチャーや要素を試してみたい。これはロサンゼルスでスタジオ・ミュージシャンとして仕事をしていた頃にしょっちゅうやっていたし、凄腕ミュージシャンが集結して、彼らの想像力がこの手にあるとなったら、何でもできる気になるものだ。

あの頃、つまり70年代半ば〜後期だが、最高に楽しかった。名高い最高のミュージシャンたちと仕事したからね。例えばデヴィッド・ペイチ。彼はTOTOの創始者の一人だ。そしてデヴィッド・フォスターもいた。これまで聞いた音楽で最も洗練された音楽がそこにあった。あの頃の私は自分の本領から少しはずれたところにいたが、それでも私自身のスタイルを少し加えたり、ブルージーな要素を加えたりできた。あのタイプの音楽の、ああいったソフトでジャジーでプログレッシブな側面が大好きだし、とてもクールで満足度の高いなにかがあのスタイルにはある。でも、あのスタイルにどっぷり傾倒することはないと思う。

―「ヨットロック」は聞いたことがありますか? スティーリー・ダン、クリストファー・クロス、マイケル・マクドナルドなどと一緒に、あなたもこのカテゴリーに入っていました。

ああ、聞いたことがある。大嫌いだけどね。この言葉が醸すイメージがとにかく陳腐すぎる。このカテゴリーに関係したプログラミングや活動、船でのツアーなどの依頼を受けたことがあった。彼らは「ヨット」にこだわりたいんだろうね。今、君が挙げたアーティストたちと一緒のカテゴリーに入るのはやぶさかではない。クールだとすら思うし、あのスタイルにはプログレッシブ・ミュージックとジャズの要素がいくつも入っている。でも「ヨットロック」という名称がどうしても好きになれない。そんなカテゴリーに自分が入れられるのも嫌だ。カテゴリー名を変えればいいのにって思うよ。

―80年代に行ったインタビューで、『シルク・ディグリーズ』の頃だと思うのですが、「自分はこのイメージに縛られたくない」と言っていました。成功がもたらした不都合な点は何でしたか?

あの成功が自分にはしっくりこなかっただけだ。成功が嬉しい時期もあったが、そのあとは喜ぶふりをしていただけだったよ。確かに『シルク・ディグリーズ』は大ヒット作品だったけど、それ以降にリリースされたレコードも同じ路線上の内容だった。そうやって活動することがキャリアとなり、果たすべきこととなり……パブリシティ、名声、落とし穴など、すべて経験したんだ。自分の音楽が迷子になった感じだったよ。だから、しばらく時間が欲しかった。それが6年になり、7年になり、8年になった。とにかく、音楽に戻りたいと思えなくてね。音楽に見捨てられたんだよ、私は。いつもなら音楽で頭がいっぱいなのに、そのときは音楽に近づけなかった。アーティストの仕事として要求されることが、自分にとってはつらすぎたのだと思う。つまらなくて、疲れるものだったから。



―若い頃の自分にもしアドバイスするとしたら何と言いますか?

スタジオ作業や曲作り、レコーディングからしばらく離れたことを後悔していない。でもライブを中断したことは後悔している。数回行ったけど、基本的にはコンサートを一切行わないと決めていた。今ではコンサートをしていればよかったと思うね。ファンや自分をフォローしてくれる人々、つながりを感じて長い間一緒に過ごした人々との絆というのは本当に大切なものなんだ。それから離れてしまうと、その絆が切れてしまう。だからカムバックしたいと思ったとき、作り直さなければいけないことが本当に多かったんだ。

Translated by Miki Nakayama

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