貴重な写真で綴る、フレディ・マーキュリーの生涯

ライブエイド

Neal Preston, Queen Productions Ltd.

1985年に行われたチャリティ・コンサート、ライブエイドのロンドンステージでのパフォーマンスを「クイーン史上最高の瞬間」とトーマスは呼ぶ。「フレディは声帯結節のため
に歌えないと言っていた。それでも彼はあのステージに登場した。あれがクイーンにとってのターニングポイントとなった。フレディはソロ活動を始めていたし、ライヴエイドの前年に出したクイーンのアルバム(1984年の『ザ・ワークス』)は売れなかったため、この頃のバンドは活動休止状態。ボブ・ゲルドフが『これに参加しないとダメだ』と彼らに言ったのだが、実はチケット発売時点でクイーンの参加はまだ決まっていなかった。あのステージでは5曲をメドレーで演奏して観客の度肝を抜いた」とトーマス。

激情

Simon Fowler, Mercury Songs Ltd.

トーマスはクイーンのメンバーを「全員がカリスマを持っているし、フレディも気楽に構えていた」という。

スペインのオペラ歌手モントセラート・カバリュ

Terry O’Neill, Mercury Songs Ltd.

1987年、マーキュリーはルチアーノ・パヴァロッティの歌唱を見た。同じ夜、そこにはスペインのオペラ歌手モントセラート・カバリュもいた。「フレディはそのとき初めてカバリュを知り、『今まで聞いた中で最高の声だ』と言った」と、トーマスが言う。そのあと、マーキュリーとカバリュは『バルセロナ』というアルバムを共同制作した。リリース時点でこのアルバムのアメリカ発売はなかったものの、二人が歌ったタイトル曲「バルセロナ」はヨーロッパで大ヒットとなった。「モンセラートはフレディのアイドルだった。彼はお気に入りのジミ・ヘンドリクス、ジョン・レノン、ロバート・プラントと同じくらい、彼女を気に入っていた」とトーマス。

Translated by Miki Nakayama

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