「グランジ」史上最高のアルバム50選

18位 マッド・シーズン 『生還』(1995年)


シーン内の結びつきが密接な1990年代中期のシアトルの音楽シーンには、一度限りのものも含め、すでに成功を収めたアーティストによるバンドがいくつも生まれた(モンキーレンチ、元気かい?)。1995年に1枚のアルバムをリリースしただけであるにもかかわらず、アリス・イン・チェインズのフロントマン、レイン・ステイリー、パール・ジャムのギタリスト、マイク・マクレディ、スクリーミング・トゥリーズのドラマー、バレット・マーティンとベーシスト、ジョン・ベイカー・ソーンダースで結成したマッド・シーズンは、マクレディがその年にギター・ワールドに語った「ジャズっぽい曲、ブルースの曲、アリーナ・ロックの曲」でその名を後世に残る強固なものにした。

マクレディとソーンダースは薬物アルコール中毒のリハビリ施設で出会い、他のメンバーも再びそういったものに手を出さないようにお互いを見張るという意味も込めて集められ、音楽セラピーの実験的なものとしてこのバンドは結成された。「もし俺が“クリーン”な状態でなければ、このプロジェクトが形になることはなかった。レコーディングはスムーズにいった。それぞれのバンドにあった“荷物”はなかったからね。俺たちはただ音楽を作るためにスタジオに入ったんだ。とても自由な環境だったよ」と当時マクレディは語っている。「ロング・ゴーン・デイ(遠き過去)」の変わったサックス・ソロや「アイム・アバヴ(自我生還)」のスパニッシュ・ギターによるソロなど装飾的サウンドもあって、重苦しい内容にはなっていないが、ステイリーの無類のヴォーカルがスラッジーかつ突き抜けるようなギターに混ざって、『生還』にはアリス・イン・チェインズとパール・ジャムが完璧に融合したフィーリングが生まれている。





17位 スクリーミング・トゥリーズ 『スウィート・オブリヴィオン』(1992年)


ワシントン州出身のスクリーミング・トゥリーズは、6枚目のアルバムのレコーディングをした時、それが彼らの最後のアルバムになると感じていた。1991年にメジャー・デビュー作『Uncle Anesthesia』をリリースしたばかりであったが、バンド内の不和により解散の危機に瀕していたのだ。

1993年、ベーシストのヴァン・コナーがスピン誌に語ったように、バンドは喧嘩するのを止めて「ダサいぐらいに仲良くやっていく」ことを決めた。彼らは関係を修復し、グランジのメインストリームの波に乗り送れることなくハード・エッジなロックにレトロなサイケデリア感(「バタフライ」「セレブレイションズ・パスト」)やほろ苦いフォーク(「ダラー・ビル」)を取り入れたアルバム『スウィート・オブリヴィオン』を発表した。このレトロへの傾倒とマーク・レネガンのディープで美しく枯れた声のおかげで、彼らの同世代による激しく苦悩が込められた作品よりも大人なサウンドのアルバムに仕上がっている。同年公開のキャメロン・クロウによるシアトルへのラブレター『シングルス』の中でも特に目立って耳に残る「ニアリー・ロスト・ユー」は、めまぐるしいグランジの全盛期にメインストリーム・ロック・トップ20を飾った。





16位 メルヴィンズ 『フーディーニ』(1993年)


『ネヴァーマインド』以降の90年代は、30分程のドローン・ドゥームの作品を妥協せずにリリースしたメルヴィンズのようなバンドが、フィル・コリンズやベット・ミドラーと同じレーベルと契約するような不思議な時代であった。バンドはアトランティック・レコードからのデビュー時に、長年の友人であるカート・コバーンを共同プロデューサーとして迎えた。コバーンは数曲を任されていたがその結果は実りあるものとは言えず「残念ながらコバーンは何かをプロデュースできるような状態ではなかった」とフロントマンのバズ・オズボーンは2009年にThe Strangerで語っている。

5枚目となるこのアルバムには、滑稽なまでにヘヴィでありえないほどキャッチーなリフと、完全に意味不明な言葉で構成された1曲目の「フーチ」、92年にリリースしたシングルを録り直したヘヴィで激しいロック曲「ナイト・ゴート」、キッス『地獄のさけび』収録のスカスカなオリジナル版を遥かにしのいだ重厚なカバー「ゴーイン・ブラインド」など、今日に至るまでのバンド史上、最も力強く聞きやすい曲が収録されている。しかし、バンドのトレードマークであるタイムストレッチさせたような不思議さも忘れられてはおらず、それは傑出してスローモーション的な「ハグ・ミー」や、(ツェッペリンの)「モビー・ディック」というより(ブーレーズの)「イオニゼーション」に近いデイル・クローヴァーのドラム・ソロが入った最終曲「スプレッド・イーグル・ビーグル」に表れている。

「この20年間、いろんな人に『ああしろ、こうしろ言われるからメジャー・レーベルにはいない方がいい』みたいなことを言われてきたけど、俺はそれに対していつも『俺らがメジャーでやった作品を聞いたのか?』って答えていたよ(笑)。それがレコード会社の干渉だというなら、別に構いやしないよってことだ」とフロントマンのオズボーンは2012年、ナッシュビル・シーン紙に語っている。




Translated by Takayuki Matsumoto

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