浅野忠信率いるSODA!を吉田豪が直撃「バンドの運気が上昇している」

─俳優の世界で、ここまで日本のハードコア的なシーンに足を突っ込んでる人もいないですよね。

浅野:いやー、突っ込まない方がいいと思いますよ(笑)。もしアドバイスするとしたら。

─そうなんですか!

浅野:余計なところに顔出さないほうがいい(笑)。面白いけど、見ての通り不良ばっかりですし。

─でも、そこでもうまくやれてる訳じゃないですか?

浅野:本当にみんな最高ですし。ただ、みなさんクセがありますから(笑)。

─知らずに接したらヤケドする可能性が大っていう(笑)。18年前の時点から、浅野さんはパンクな匂いを出し始めていて、そこを面白がってボクも会いに行ってたわけですけど。その頃から今までブレないですよね。

浅野:そうですかね(苦笑)。磯子高校、釜利谷高校っていうのは、その地域でまあ、一番アタマの悪い学校だったわけですよ。まあ、釜利谷の方が悪いんだけど……。

松丸:いやいやいや! トントン、大差ない(笑)。

浅野:そこの出身なんで、ほかのことにアタマが回らなかったんだなって。オトナになって気づきましたね。知らぬが仏というか、知らないから突っ走れたんだなーみたいな。


SODA!、左から浅野忠信、高松優、村山尚也、松丸裕二

─メンバーの方から見て、当時の浅野さんはどんな感じだったんですか?

松丸:こんな感じです。全然変わんないですね。背がもっと低かったくらい。

─浅野さんのブレイクダンス時代から知ってるんですか? 

松丸:さすがに小学生のときは知らないですけど(笑)。横浜にジーン・ジニーというライブハウスがあって。ちょうどイカ天ブームの頃だから、高校に上がってバンドやってる奴らがうじゃうじゃいたんです。で、遊びに行ったらそこにいたっていう。みんなブルーハーツやBOØWY、ジュンスカとかのコピーやってて。

─浅野さんのジュンスカのコピーバンド時代を知ってるんですね!

松丸:それはもう、彼の1stライブを観てますから(笑)。

浅野:BOØWYをやってたのは僕らではないですけど、イキがってましたねー。

松丸:服装も変わんないよね。「まだそれ着てるの!?」みたいなTシャツ着てますから。

浅野:今日の革ジャンも、小学生の頃から着てますからね(笑)。その当時、横浜のビブレにあったオクトパスアーミーって古着屋で買ったバッヂがまだ付いてる。

松丸:そういう意味で、全然変わんない。

─お母さんが買ってきたラバーソウルを履いてた時代から(笑)。

浅野:もう、当時からずっと履いてますね。ドクターマーチンも未だに買い替えて履いてる(笑)。

松丸:『青春デンデケデケ』を観るくらいまでは、彼を役者として見てなかったから(笑)。やってるというのは聞いてましたけど、俺らが集まってもバンドの話かくだらない話しかしないし。

─その頃はまだ、俳優業へのやる気もなかったんですよね?

浅野:当時は恥ずかしかったんですよ。中学の時に『金八先生』出たあと、高校に入ると「『金八先生』に出てた奴がいる!」みたいな感じで、人によっては「金八」って呼んできたりするわけですよ。そうやって「テレビに出てる奴」扱いされるうち、どんどんこじれてしまって。しかも、僕ちょっと外人の血が入ってて髪の毛が茶色かったので、よくわかってない奴は「金髪」って呼んでくる(笑)。「金八〜」「金髪~」って。

一元ネタも知らずにいじられて(笑)。

浅野:で、だんだん仲良くなってくると「男優やってるんだろ?」と言ってくる奴も出てきて(笑)。AVじゃないんだよ、せめて「俳優」と呼んでくれと。

一それは俳優よりもバンドやらなきゃと思いそうな環境ですよね。

浅野:それこそイカ天ブームだったし、暴走族がラバーソウルを履いてる時代でしたから。パンチパーマにラバーソウルを合わせたりして、今思えば凄かったですよね。特攻服をよく見たら「暴威」と書いてあったり(笑)。

一あの頃の不良は、漢字の「暴威」を書きがちでした!

浅野:そうそう、メジャーデビューする前のBOØWYですよね。

一その頃からの付き合いが、今もこうして続いてるんですね。

浅野:まあ、なかには逃亡して九州で焚火やってるのもいますけど。

松丸:いるね(苦笑)。

浅野:PEACE PILLで高校の頃からやってたメンバーが、いつの間にか宮崎のほうに消えて、焚火ばかりやってるみたいなんです。もしかしたら、家がないんじゃないかって(笑)。キャンプにハマってるふりして、野宿生活してるのかもしれない。なんか怪しいんですよ。

松丸:ほぼ毎日、テント張ってるっぽいしね(笑)。

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